pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

はかどる

 読書が。ええっと例のPCゲーはインストールに失敗しました。今晩またトライします。たぶんブラウザゲーを同時進行でやっていたからトラブったのではないかと推測します。このグダグダっぷりから、もうやる気が減退しているのがアレですが。PS5が普通に入手できる環境になったらリベンジ購入するかも知れませんが。まぁ今夜が勝負ですねー。

 んで漫画とか、読み進めるのが停滞していたものとか、空虚な待ち時間を埋める為に読書が捗るという、結果的にはプラスに結び付けたいもの。

 

 ついにダンジョン形成の元凶と言うべき存在が本性を現しましたね。自分は日本人で、キリスト教にもイスラムにも精神的帰依していないので(興味本位の域を出ない)悪魔に対する忌避というものが本能的ではないのです。なのでどういう存在に恐怖を感じるのかと言うと・・・驚くけど怖がる存在ってのが想像しにくくなっているのもあるけれども、悪魔が感情を食するというのは割と納得できるかな。感情を失う事を想像する、というのは生きがいを喪失するようで、死よりも恐ろしいかも知れない、と。

 三十年ぐらい前に『混沌世界ボルドー』ってロボとファンタジーが融合した作品があったのですけれども、その世界の悪魔はヒトの恐怖を味わう事が大好きな存在でしたね。無限のエネルギー体でヒトの世界では有限だけど、自らの世界では不滅の存在。だからヒトという知的生命体の反応が楽しい、特に恐怖が。みたいな。何年か前に同人誌形態で復活するって事も言われましたが、あまり伸びなかったせいなのか、番外編的な作品を出されて、今のご時世になってしまい、その後どうなっているのか不明。

 ああ、ボルドー復活してくれんかなぁ。あ、出渕裕さんの『ルーンマスカー』もね。十数年前に復活するような事を言っていたらヤマトが始まってしまって、それも終わったから・・・いやどうなるだろう。

 ダンジョン飯から話がそれてしまった。ダンジョンの主が交代しました。これがどういう影響を及ぼすのか。楽しみです。

 

 メインが大人の百合なんですけれども、片方が既婚者で、別に夫との仲が悪くなった訳ではなく、見ていると、なんか夫としてみられなくなってきた、みたいな感じで、ああ、こういう生殺し感覚、あるよなーって。いろいろと紛糾しまするよ。当たり前だけど。

 あ、ダンジョン飯の話が横道に逸れ過ぎたせいで文字が千字を超えました。ほなら文章の本は明日に回します。

ちょろりと忙しかった

 過去形です。一息つきました。だから午前中に日記が書けるのですけれども。

 昨夜出来心で『パスファインダー:キングメーカー』というPCゲーをダウンロードしたのですが、なんかね、ファイルが足らないってゆわれたんですよ。容量は推奨ほどではないけれどあると思ったんだけど。PCゲー自体久しぶりだし、パッケージ派なんですが、このゲームはPCはダウンロード版しかないし、それ以前にファイルが足らないって、うーむ・・・そんなに重たいものはないつもりだけど、個数の関係なのかしら。

 帰宅したら心当たりのファイルを削除して再トライ。しかしダウンロードに二時間以上かかっている段階で、やっぱりこのマッスゥィーンではダメなのかも、と思ったり。大人しくPS4版を購入すべきだったか?しかしPS4自体持っておらず、どうせ買うならPS5の時期だよね、と思うけれども世評の噂通りテンバイヤーに買い占められているのか、密林には見当たらない・・・まぁ居間のTVは父親が占拠しているから、ただでさえワンゲームが長いのに夜中にちょこちょこプレイするというのもアレだしなー。

 そして昨晩ダウンロード待ち中に読み終えたもの。

 

 二十年近く前に学研だかのムック本を買って以来かな。あれはたぶん大河ドラマ北条時宗をやっていたタイミングのはず。そして今回は来年の大河ドラマに合わせているのかしらん。

 鎌倉幕府を事実上主催した北条氏って一杯庶家があって把握できなかったのですけれども、この本は網羅的に紹介してくれているので比較的、こういう風に北条氏って拡大していったんだなーっという事が解り易くなっています。

 興味深かったのは、北条氏と争ったのは都市鎌倉に居住していた御家人たちであって、地方、自分たちの領地に居を構えている御家人たちは幕府機構から距離をとっていたせいか、それほど波風立ててないのですよね。北条氏が領地やら勢力やらを拡大したのは、そうした幕府機構内で対立したライバルを倒した時と、承久の乱を始めとする鎌倉幕府にとっての対外戦争に指導的役割を果たした時、蒙古襲来を期に迎撃にせよ、侵攻にせよ、その融通が利かせやすい交通の要所を領有化したみたいです。

 ただ自分、個人的に豊臣期以前の武士って物流業者って側面が富を保証している気がしてならなくて、つまり交通の要所って物流業者にとっては美味しい立地ですよね。それがことごとの北条氏のものになっていったら、他の御家人、非御家人は面白くないだろうなぁ。だから一旦敗色が濃くなったら、雪崩を打って討幕に進んでしまったのかなぁ、とかぼんやり考えたりします。

 入門書として良い本ですよ。

島津家の実態

 内容みっしりだし、ボリュームもありましたので読むのに結構かかりましたが、ようやく戦国期から江戸初頭の島津家について概要が解りました。

 

 『鬼島津』とか『九州最強』とかの伝説は、どうも幕末から近世にかけて薩摩の士族が最も日本史上で目立った時期に出来上がったものらしいですよ。同時代にはそういう記述はないし、また朝鮮侵攻での活躍から相手より『鬼』と呼ばれたのは虚言のようです。そういえば大陸で『鬼』は幽霊という意味で、オカルトになっちゃうもんね。

 戦国期島津家は半世紀ほどかけて分裂状態を解消し、島津義久を『太守』として重臣合議を諮問機関とし、この重臣合議で全ての話し合い、合意を得て政策を決定していたようです。しかし義久は傀儡とかではなく、自らの意向にそぐわない決定は再談合をさせ、また自らの意思を内々に重臣会議に伝える事で決議を左右してもいました。

 これは義久の専横ではなく家臣団の衆議のうちに家中の意思決定がなされたというコンセンサスを得、島津家中の団結した行動を可能にしました。室町中期から守護家専横→反発→守護家弱体→島津家の結束が崩壊し領主層が分裂、紛争状態、という状態が長らく続いた島津家の知恵が、こういう重臣合議制を選んだのでしょう。

 九州制覇の過程も、境目争論で味方の領主が助けを求めてきたから応じる。敵失を最大限に活かして勝利、というプロセスが大友家に対しても龍造寺家に対しても見られ、当主義久は慎重にも慎重に期するタイプ。慎重すぎて微妙な決断は神社の籤引きに委ねる傾向があります。もちろん自分の考えを反映させた籤引きなので仕組まれていますし、自分の決断が家中では少数派という場合に多用したようです。

 こういう意見のまとめ方は部下に意見を吐き出させ、納得させ、それが当主も公認しているという自己肯定が大きくなると思うので、島津義久の下、家中はまとまるのですが、いかんせん、意思決定に時間がかかりすぎる。自らの領国近辺の問題処理ならともかく、遠隔になればなるほど致命的になり遂には破綻するのですが、実は秀吉の九州征伐前から大友家との戦いで筑前方面か豊後方面か、どちらから攻めるかでもめていまして、義久が主導した筑前方面が勝ったものの戦果を拡張できず、損害も大きく撤退せざるを得なかった事から、その指導力に疑問符がつきます。本人も「もーやだ」みたいてな事を言ってますし。

 豊臣政権に対しては義久が頭を丸めて出家した事で当主代行となった弟義弘が表に出ます。義久は当主として帝王学を学び、一筋縄ではいかない思考の人物なのですが、義弘は重臣の一人として実行部隊の指揮官として最前線にいた人物であり、誠実であることが武士としての美徳と心得ている人です。つまり政権からすると扱いやすい。特に豊臣政権の効率的トップダウンの支配方式、全領国生産力の大名家把握、それによる軍役動員能力はそれまでの島津家にない強力なもので義弘はすっかり指南役の石田三成に絶大な信頼を寄せてしまいます。思うつぼ。

 財産全てを大名家に把握されるなど、自助自立が前提の世界に生きた島津領国の領主たちには受け入れられるはずもなく、また彼らの支持がなければ島津家支配など崩壊すると心得ている義久も、のらりくらりとごまかします。この点、誠実な義弘に島津家当主を変えようとする政権側にとっては好都合なはずでしたが、大陸侵略をもくろむ政権側からすると琉球王国との交渉チャンネルを持つ義久とその側近たちを処分する事もできず(琉球+明との交渉チャンネルという意味で)、また義弘も義久当主を否定するなど毛頭考えておらず(誠実だ)、島津家は時と場合によってトップが異なるみたいな体制でした。しかし政権に対する担当者として石高も確定できず、軍役も不十分な島津家体制は不面目の極みであり、朝鮮出兵では課せられた軍役(だいたい一万ぐらい)を結局満たすことができず(いつも三千人前後の軍勢しか動員できなかった)、活躍できた戦いも終戦間際の防衛戦のみ。ただ数倍の明・朝鮮連合軍を退けた戦果は大いに評価されましたが。

 関ヶ原の合戦においても島津家は軍役を満たす事ができず義弘、豊久の少数の兵に志願兵が加わるという弱体ぶり。どうも経済的な弱さは最後まで再建できなかったようです。琉球討伐も志願兵が結構いたし。ただ寡兵でも選択した戦術が派手な結果を残し、また家康に対して義久が交渉チャンネルを持っていた事、義弘の誠実さに感動していた東軍側豊臣大名が複数いた事で和平周旋チャンネルも複数あった事が領国保持での和睦という離れ業に繋がったようです。

 ちなみに義弘は義久生前は自らが当主と名乗る事はなく、義久死後、息子忠恒が義久婿という立場で後継者になっていたのが、奥方との間に子を儲ける事が出来ず、義久娘の奥方も了承済みで側室を娶った事により、忠恒の島津家継承の正当性が弱くなると判断した為、当主代行でしかなかったのに急遽「実は当主だったのだー」という事にして島津家当主の息子という立場を忠恒に付与したという・・・ややこしいですね。

 書く事一杯で普段の倍も文章を書いてしまいました。それぐらい島津家の事が解って面白い本でした。

読み終えたものがたくさーん

 大方漫画なんですけれどもね。

 この土曜日に三回目の餃子つくりをして思った事。やはり自分で包んだものの方が食べ応えがある。そりゃそうだ。具材を自分が思った通りに詰めるのだから当然ですわな。肉餃子が食べたくて作っていましたが、次回はそれに加えて野菜系具材メインのものもつくってみようかと思います。どんな具材レシピがいいか、探してみます。

 そして全然関係ないけど読み終わったもの。たぶん今日は漫画編です。

 

 主人公に関わる、けれども彼が主役ではない歴史事件が起こると物語の流れがはかどりますね。甥の今川氏親くん誕生。その父、今川義忠の遠江侵攻。そして・・・って感じです。実際にはすれ違ったと思われる太田道灌とも、ちょろりと接触しました。そしていずれ対決、排除する事になる小鹿範満がとてもナイスガイで、義兄義忠は目玉がグルグル回っている感じなのがなんとも。範満との対決は苦いものになりそうですね。

 あとは細川聡明丸の目もグルグル回っている感じ。ああ、そういう感じで描くのですね。政治的には連動する二人だけど、うーむ・・・

 次巻以降、たぶん姉上が伊勢盛時今川氏親のゴットマザーになっていくんだろうなぁ、とワクワクしております。

 

 ようやく学園での騒動を起こした犯人、黒幕?が現れました。そして、ああ、そうだね、そういう精神状態の人がつけ込まれちゃうよねー、と半ば納得、半ば予想通りって感じ。これからクライマックスですよ、皆さん。次巻はどんな感じになるのでしょうかね。そろそろチセは自分の何かを犠牲にする解決方法から脱却しないと身が持たないし、そういう事を学ぶエピソードになるのでしょうか。どうなんでしょうね。

 

 告知された発売日ではない日に発刊されていたようで、慌てて購入しました。ええっと、なんか少年漫画の敵キャラみたいな四人組が出てきましたよって、この漫画、少年漫画だっけ?まぁ主人公が後方で企画やら軍政やらしていられる物語ではないので(そんな組織力などない勢力だし)、前線指揮官に次巻以降は復帰するようですから、また、ひいひい頑張ってもらいたいものです。はい。

 明日は新書の感想になると思います。

涼しー

 朝晩が涼しくなりました。例年より若干早い気がします。今年は長雨も多かったし、一昔前なら冷夏と言われたのではないでしょうか?

 ん?一昔前って十年ぐらい前か。その頃は冷夏って死語っぽかったような気がする。もしかして冷夏と言う言葉が使われていたのって三十年ぐらい前の事だろうか?なんとなくそう思いましたまる

 まぁ長々と書きましたが読み終えた本はあります。

 

 誰やん?って思った人が多いと思います。自分もです。誰やん?って思ったから借りました。だいたいクリミア戦争が終わったあたりから二十世紀初頭までオスマンのスルタン・・・パディシャーが正式な称号らしいのですけれども・・・で、彼の後のスルタンは傀儡になってしまったので、最後の実権を持ったスルタンと言えるのでしょうか?

 すでにオスマン帝国は「瀕死の病人」の体で、ヨーロッパ諸国に押されまくりで、なんで存続しているかと言うと、そのヨーロッパ諸国各国の思惑で足を引っ張り合っているのに助けられているという面が大きいです。その隙にオスマン自身改革を行い、かつての栄光を取り戻そうとするのですが、国内の制度疲労(ぶっちゃけ賄賂とか横行している)や、改革への無理解、誤解(これが近代化改革を試みる人々にもあるというところが、なんとも・・・)故に試行錯誤、失敗の繰り返しです。

 アブドュルハミド二世はヨーロッパ的憲法に基づく議会制民主主義に懐疑的、というかスルタン主権を信じている人なので、無難なところで立憲君主制を志向しています。これは特に後進的でもなく、当時のドイツやオーストリアはそうだし、ロシアには憲法もない時代でしたし、日本も明治維新後、立憲君主制を目指しました。

 なんでオスマン・トルコって記述しないのか、というと、このオスマン政府の構成員がトルコ人の割合が少なくて、アルメニアとかアルバニアとか、ブルガリアとか、とにかく当時のオスマン帝国の支配領域全域の被支配民出身者が多く、しかもイスラムだけでなく東方キリスト教会の信者も少なからずいて、これはトルコと言うのがはばかられる国家だよな、と。

 今日から見ると多民族国家というのは一つの理想形なのかもと思う事もあるのですが、当時は単一民族国家を主張する声が強く、オスマン政府が公正さと強いリーダーシップが取れなくなると、また地域の多数派宗教が聖域を独占する、なんて法律ができてしまったら、その多数派宗教が他の少数派宗教を排斥し、これまた混乱、分離独立の方向へと向きます。

 アブドュルハミド自身は均衡、バランス派で彼が実権を握っている間は外国の圧力による独立以外はそんなに目立たなかったようなのですが、『民族自立』とか標榜する立憲民主派が、イスラム保守の一般兵卒の反乱失敗を契機にクーデターで実験を掌握すると、なーんかオスマン政府の瓦解が加速したようにも見えます。

 何をどうすればオスマン帝国が存続できたのか?もはや時代は一人の血統君主が責任を負う事が不可能なものになっていたのでしょう。第一次大戦はそういった立憲君主国の大国がことごとく消滅していった戦争でもあったのですから。小国ではまだしばらく存続するけれど、時間の問題とも言う。日本?自分と周囲が大国と誤解していた中小国なんぢゃないかと最近のアタクシは疑っていますけれども。それに日本の天皇は制度が形だけなのにご本人は議会制を尊重していましたしね。民主的かと言われると、時と場合による。大日本帝国憲法が議会制民主主義の憲法ではないので、状況が議会制民主主義に近くなるという程度なんですよねー。その意味でもやっぱり大日本帝国憲法って未熟な作品なのかも。

解放感

 毎回感じる事ですが、艦これのイベントをクリアすると解放感があります。やっている最中のストレスと比例で感じます。今回は二番目に簡単な難易度でやったのですが、舐めプ編成で散々苦しんで、ちょろりと調べて手元にある最強戦力をぶつけたら突破出来ました。お札に苦しめられない為に難易度の低いものをやっているのですが、まぁこれくらいはね。道中の夜戦大破にイライラしていたのですが、ボス削り中にドロップ艦も出てくれて、はぁ助かり申したと。これでドロップ周回なんて、発〇してまう・・・

 はい。そして同時進行で読んでいる本はまだ一つも読了していません。昨日ちょろりと書いたアブドュルハミド二世の評伝があと二章で読み終えますけれども、それは明日以降という事で、自宅で読んでいる島津義久、義弘兄弟の評伝の事など。こいつはボリュームいっぱいでして、それも二人が五十代で豊臣政権に屈服してからの記述の方が長い。今、二人がその豊臣大名として領国支配を完遂出来ず、軍役が満足にこなせず、評価石高三十万石として(差出検地すら不十分というありさま)一万人の軍役を朝鮮侵攻に課せられたのに、どうも三千人弱しか動員できず、兵糧の手当てにも困るという、豊臣大名としては不適格という状況。これ容赦なく取り潰されかねないレベルです。

 これはどうも島津家の意思決定機構の特性らしく、室町末期に守護家が没落したのは守護家が国人領主たちの支持を得る事ができなかった為で、それならばと重要家臣(老中)たちが合議をし、それによって当主義久が方針を決定する、という意思決定機構でした。こうする事で、まず当主の責任問題にならず、老中たちが意見を尽くして決定した体裁をとり、決断を擁する場合は籤、つまり神事として決定するという有無を言わせない形式を取りました。

 しかしこれは当主がその島津家の意思決定行為に責任を持たないという体裁をとるものであり、まだ物事が単純化できた大隅、日向、肥後といった周辺の境目争いは処理できましたが、敵失で(大友にせよ、竜造寺にせよ、自らの失敗、ミスによって島津軍に大敗している印象があります)期待以上の大勝利をあげてしまった事が不幸の始まりだったのかも。竜造寺、大友の支配下から逃れようとする勢力から期待され、九州統一という夢が目の前にぶら下がり、毛利家の支援をあてにして豊臣政権の出方を見誤り、敗退するという。

 この原理がね、かつてのタリバンアルカイダを客人として保護した為に、本来やりあう必要のなかったアメリカとやりあう羽目になった事を彷彿とさせます。頼ってきたものを支援する事が武士の名誉という・・・

 しかもそのあたり義久は自発的決断を一度もしていない。そういう癖がついてしまったからか(豊臣政権に降伏した時、彼は五十を過ぎています)自ら決断する、責任を取るという思考ができない。なので薩摩、大隅に領域を削られてしまった後の混乱に主導権を発揮する事もできず、配下領主の自律性を期待するといえば聞こえはいいけど、検地とかも強制力が弱いので、一向に島津家の石高が解らない。締め切り違反の島津家に政権側が激怒するのが解っているので、持病の虫気が発症するとか、なんか夏休みの宿題をやりおえていない小中学生みたいな感じ。

 有名な島津四兄弟のうち、末弟の家久は降伏直後に原因不明で死亡していますが、次弟歳久は梅北一揆の首謀者として自害させられていますけれども、当時彼はリウマチらしい病で身動きが取れず、どうも朝鮮侵攻の軍役を始め、経済的に一向に政権が期待する経済的奉公ができない島津家に対し、本来ならば当主義久に責めを負わせるところ、彼とその側近のみが琉球王国との交渉ノウハウを持っていたので、歳久は身代わりという感じで処罰されたみたいです。

 なんかここまで読んでいると、最強どころか田舎のダメダメ親父としか思えなくなってくる。この後、印象変わるのかなぁ・・・

道中大破にイライラ

 艦これ2021夏イベ最後のMAPボス丙でトライしていますが、道中の夜戦で大破する事が多くイライラしております。運よくドロップ艦は出てくれたので、ボスを倒せばインベト終了なのですが、ボスへの到達率が低い・・・現在は機動艦隊編成でやっているのですが、ボスへの打撃がいささか頼りなかった水上艦隊編成も含めるとたぶん十二回ほど試行してボスに到達したのは四回・・・んん?三分の一って、あれれ??

 根本的にレベルが低めの艦が二隻混じっているので、そのせいかも知れませんが、それでも・・・うーむ・・・もっと真剣に育成をすべきだったかしらん?時々ドロップ掘りが育成みたいな気持ちになるのですが、まぁそのつもりでやり続けるですかね。

 はい。読み終わった本がないのであります。同時進行で読んでいるうち半分を過ぎたのは十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて三十年余りオスマン・トルコのスルタン(公式にはペルシャ起源のパディシャーという称号を帯びていて、スルタンという称号はパディシャーの娘か、後宮の高位の女性に与えらるものらしい。知らなかった)であったアブドュルハミド二世の評伝です。知っています?あたしゃ知らなかった。知らなかったから借りてみたという事です。

 現在でもイスラム諸国はイスラムと近代化の整合性に悩んでいるというか、安定的に成立させている国って経済力でぶん回しているイメージがあるのですが、この時期のオスマン・トルコも地政学的に重要な地域故にヨーロッパ諸国の都合で殴られたり援助受けたり、梯子外されたりという状況を克服する為に近代化=ヨーロッパ化をもくろむのですが、それが誤解に基づくものであったり、既得権益を侵害された人々、変化を飲み込めない人々の反発で挫折したりと、中国で起こった事が似たような感じで起こっています。このアブドュルハミド二世は、どちらかというと専制、つまり上からの改革をもくろみ、憲法を方便として考えていた節があるようです。国家財政が破綻しているからスルタン個人の財務を大きくしてそこから運営費を捻出するって手法が、現代からみるとあれれれ?って感じなのですが、債務でひいひい言っている国家財政を立て直していると何もできないからって発想なんですかね。

 まだ分量の半分なんですが、いやぁ、ロシア、イギリス、フランス、ドイツとヨーロッパ列強のやり口って、ほんと〇ソですね。三枚舌外交はブリ〇スの専売特許ではないと。イスラム諸国、特にイスラム法を重視する人々が欧米に対して疑心暗鬼になるのも不思議ではない。先日のアフガンの電撃的な政変で日本も同じようなイメージを持たれてしまうかも知れません。それを払拭する為の努力はなされているのでしょうか。今、マスコミや政界は与党総裁選挙の事がメインです。どーなるんでしょうね。右巻きが強い方がいらっしゃるのですが、この方になったら気持ちよく与党に投票しない決断ができるなぁ、とか思ったりしたりして。

 話がそれましたが、まぁこんなもんです。