pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

本は購入しているのです。

 でも購入してその日のうちに読了できるのは漫画ぐらいなものなのです。昨日はこれを読み終えました。

 

 大食漢・・・いや女性だから漢はおかしいけれど、慣用句なので・・・の大佐が前巻の攻防戦で非戦闘員を死なせすぎて更迭されるかも、という事態に。まだ判らないのですが、大佐から最悪の後任人事が漏れたから、いつかそうなるでしょう。

 敵側では相手に打撃を与えたものの作戦自体は失敗なので、その責任者が責任回避の為に主人公のライバルキャラをスケープゴードに仕立てようとしたら逆襲されてグッバイ。その後、主人公の部隊の隊長と、父親の師匠筋の人物が敵に捕らわれているから救出してこいって作戦が・・・ここから先は読んでのお楽しみって事で。

 まぁ意表をついてきますよね。そして主人公の親父がどんな人物なのか、次巻である程度解るみたいですよ?

 購入して読んでいるのは西股総生さんの『鎌倉草創』。軍事的な解説が読めるだろうと思って購入しましたが、若干情報が遅い部分もあり、もにょる箇所も。しかし上総が実は面積が広くても湿地帯が多くて開発が進んでいない下総よりも、谷戸田(山地の水源が近い地域で開かれた田地)があり砂鉄が産出するので、佐竹あたりに権益を侵されている下総の千葉家よりも、上総広常の方が豊かで力があるという評価が、あ、言われてみればそうかな?と思いました。

 あとは当時の「これは誇張だろう」というような千やら万やらの兵力数は、実数を数えるよりも目算で見積もっているから、だいたい当時の大規模武士団で三百騎ぐらいが常識っぽくて、その集団がいくつ参陣したかで兵力を把握していたのではないかと言われていて、三千騎と書いてあったら集団が十個ぐらい(たくさん)、万に届くとすごくたくさん、十万だと「見た事もないくらいたくさん」という意味だと書いてあって、ああ、そうかもねーっと。兵糧が自弁が当たり前の時代で着到状というシステムがなく、武士団を率いる氏族長があいさつにきて「こんぐらい率いてきた」と報告したら、それを控えておく感覚ならば、「だいたいこのくらいかな」というゆるーい兵力把握もさもありなんって思ったりしたり。

 だから源頼朝の侍所別当であった和田義盛梶原景時奥州合戦に出陣する大手勢を千騎と報告したと吾妻鑑が記載しているのは画期的かも知れないと。ちゃんと正確な兵力を確認しているから特記したのかも、と。

 和田義盛はともかく、知識人としても評価される梶原景時が噛んでいると、そうかもねーっと思えます。

 読了していないのに書くこと、多かったナ・・・

今日は映像作品

 自分の事なので最新作どーのこーのではありませんがね。

 あ、『鎌倉殿の13人』第2話は1日遅れで見ました。いかがわしい感じの源頼朝大泉洋さんがいい感じに演じているなぁ、と。上手い俳優さんが群像劇を演じていると、安心感と世界観の広がりをおぼえます。楽しくて仕方ないですねー。史実的には突っ込みどころがありますが、作品が面白ければあんまり気にならないのでいいです。はい・・・以仁王の乱以前の伊豆国は平家知行国ではなくて、源頼政が支配しているのですが、そんな細かい事を言っていると話の流れが分かりにくくなるもんな・・・

 第三話も楽しみです。もう一つ楽しみにしていたTVアニメ『平家物語』は自然災害の特別番組で東海地区では放映されませんでした。一応第一話はネットで見ていますが、やっぱ大きい画面で見たいですからの。放送予定が再度決まるのを待ちます。録画で見るから放映順とか関係ないし(あ

 んで録画してみたもの。

 

 ほんとは田辺聖子さんの原作小説を読んでから、とか思っていたのですが、図書館には見当たらず(本気で検索していないので。たぶんあるだろうけど)、まぁいいか、と見ました。

 この作品の事を知ったのはよーつべで、くるりの『ハイウェイ』という曲を検索していたら、実写版の映画主題歌であると知って、どんな話なんだろう?ってちょろりと検索したのが最初です。なら実写映画版も見ればいいぢゃない?なのですが、20年弱前の作品で、自分が日本実写映画に対して妙な偏見を持っていて、なおかつ、どうも生々しい気配がしたので見ていないです。評価は高いようですが、最初の入り口はマイルドにしようと。

 んでアニメ版は、すごく綺麗な話になっていますねぇ。生々しさはないです。アニメで生々しくするのって、やりすぎ感がでちゃうからかしらん。設定も原作とは違うようですが、だいたいの流れはあっているのかな。でも実写映画版とは若干異なる展開のような気がする。やっぱり原作小説を読むべきかなぁ。次に図書館に行くときは、本気を出して探してみよう、そうしよう。

 アニメ版の内容は、身体障碍者の現実と、それに向き合う健常者の若者たちの恋の物語です。お互いの幸せを願う形になるのが、そして前向きに生きようとするのが、安心な映画です。こういう物語を時々補給しないと、精神的アレになりそうになるので。あ、常時だと虫歯になるので、時々がいいのです(なんの話やねん

そんなもんかな

 日曜日に、知人がやっていらっしゃる喫茶店で読書会・・・読書討論会がありましてね。自分からは手を伸ばさない本がお題に出るので、その本が文庫版なら参加しよかいな、と出かけまして、今回は・・・まぁ好意的な意見が出ない事、出ない事!!自分が参加した中で、こんなに不評というのも珍しいかも知れない。自分的には歴史ものに突っ込みを入れたくなるのですが、まぁまて、これは作者のファンタジー世界だ。言うのも野暮だ、と思いとどまろうとしたのですが・・・語る事がない。ので、必然的に実際の歴史は知る限りはこうですよー、という事になると。

 んで語っているうちに・・・著者の書きたかったものに、まったく同意というか、同情というか、感情移入できない自分を再発見しましてね。・・・もともと好きではない作家さんでしたが、嫌いとは言わないものの、やっぱり自分からは手を伸ばして読まないよなーって。そして他の参加者の方も大同小異な意見が・・・

 なんでしょうね。若いころはとんがっていたけど、年を取り、社会的立場を得たら手のひら返して迎合するような発言になる、というのは良くありまして、よく言えば丸くなったって事なんですけれども、自らが属する価値観や共同体には丸くなって、それ以外にはとんがっている印象がありましてね・・・そんなもんかなぁ、人って。とか思ったりしたり。

 それとは別で、自分から手を出して読んだものがこちら~。

 

 細川ガラシャで知られている人ですが、あえてガラシャという題名にしているのは、彼女と夫、細川忠興として知られる戦国武将が夫婦であった時期は『細川』を名乗っておらず『長岡』という姓名を名乗っていたので、でも今更『長岡ガラシャ』というのもアレなので『ガラシャ』になったようです。

 彼女の人生は前半と後半で様相が変わります。前半は父明智光秀織田家出世頭であった事もあり、私的にも公的にも満たされた状況でしたが、父が本能寺の変を起こした末に殺されると一変して『謀反人の娘』となり逼塞した生活を送る事になります。本人は事後の父からの手紙で『本能寺の変』を必然と納得したようで、彼女の父親への敬愛は終生変わりませんでした。しかし他の兄弟姉妹が悉く殺されている中、彼女だけが生き延びたのは夫、忠興の愛情よりも前に、舅藤孝とともに、明智支持は打ち出さないけれども、万が一明智が勝利した場合の人質として交渉材料に使用としたのではないか、と言われています。明智光秀と藤孝は長い付き合いですが、親友というほどではなく、それに最初は藤孝が身分的上でしたが、光秀が織田家中で出世するにつれて立場は逆転。軍事指揮下のみならず領地支配に関しても支援される立場になっていましたから、そのあたりにわだかまりがあった可能性が指摘されています。

 生き延びはしたものの世間は『謀反人の娘』と後ろ指を指しますし、評判を気にする当時の武士として、不名誉な存在としてガラシャを喧伝する訳にはいかず、屋敷内に閉じ込めておく他ありませんでした。それにフラストレーションを持った彼女が、高山右近や改宗した義弟の影響からキリスト教に救いを求め、改宗してからは精神的に安定したようです。

 んが、関ヶ原の合戦で東軍方になった(というか石田三成とは個人的に相いれない理由があり、ほぼ敵同士みたいなものなので東軍方になる以外ありえなかった)長岡家の名誉の為に、人質に取られる前に殺される、という選択をします。『謀反人の娘』という不名誉に命を惜しむが加わっては・・・という事で、段階的な交渉を行う事は事前に決まっていたようですが、最終手段は留守居役たち諸共の死を選択するよう取り決めていたようです。名誉を守っての死が賞賛されるのは、それが稀な行為であり、そもそも生き延びる事を至上命令としていた中世の人々にとって、ほんとにほんとの最後の選択が自死でした。自死の結果、家が存続するとか、命の限り戦って落城とともに自死するという武名を尊ぶとか、そういう交換条件でもないかぎり選ばない。だからこそガラシャの死は彼女の『謀反人の娘』というレッテルを見事に上書きしました。ご本人は死んでしまうけれども、遺族に、特に長岡→細川家に与えた恩恵は計り知れない。

 その賞賛から次第に実像から離れてイメージの世界へ、『戦国女性の悲劇』だったり『殉教のキリスト教』みたいな悲劇のヒロインとして形成されていくのですねー。だから割とヨーロッパ系の研究者が彼女を取り上げたりもしています。

 アタクシ個人としては、光秀から彼女に当てられた手紙なり、文章なりが残っていたら、彼女が納得したという『本能寺の変』の真相が解るのに、と残念に思ったりしますが。

今朝からエンドレス

 羊文学の新曲、TVアニメ『平家物語』OP、「光るとき」をエンドレスでかけてます。サビで涙腺が緩むので乾きがちな眼球が潤うかと(台無し

 今、思い立ってこの綾辻行人さんの『館』シリーズを順番に読んでいます。推理ものの『本格』ってカテゴリーがいまいち理解していないのですが、綾辻さんは、そのカテゴリーの作家さんだそうです。社会風刺とか社会問題とかを入れないタイプの推理ものという理解であっているのでしょうかね?

 昨夜二作目の『水車館の殺人』を読み終えました。探偵役が素人(見習い僧侶だそうな)で稼業を継がなきゃならないけれども父親が元気なので比較的暇、という設定。ひょうひょうとした人物像が気に入ったので読み続ける決意をしました。

 一作目の『十角館の殺人』はアカザ・クリスティの『そして誰もいなくなった』リスペクトでひねったトリックになっています。市川憂人さんの『ジェリーフィッシュは凍らない』を思い出しましたが、自分の読む順番がそちらが先だったというだけで、発表されたのは『十角館の殺人』の方が遥か先です。それに『ジェリーフィッシュ~』の方は空間だけでなく時間まで騙してきますし(あ

 なんとなーく、動機的には弱いかな?という気もしますが、犯人の年齢や世界観を考えると、そんなものかも知れないと思ったり。アメリカの作家さんがこの作品に注目しているという話をどっかで読んだのですが、この手のストーリーはあちらでは珍しいのかも知れません。そういえば『そして誰もいなくなった』もアガサ・クリスティ作品の中での評価は日本ほど高くなかったと思ったけど・・・推理ものにもお国柄が出るって事ですかね。

 二作目の『水車館の殺人』は四分の一ほど読んだところで犯人像は想像できました。当たっていたけど。ただトリックはどうしたのかまでは想像できませんでした。謎解きを読んで正直な感想は「うっひゃあ・・・よーやるな」でした。想像上の事ですし、物理的にそうしなければならない事も理解するけれども、犯人の立場にはなりたくないや。

 小説ではなくてエラリー・クイーンの作品を題材にした漫画で読んだのですが、エラリー・クイーンが「犯罪を犯す人は、だいたい可哀そうか、可哀そうなくらいバカな人だ」みたいなセリフを言っていた覚えが。犯罪を犯す人を英雄視させない為の作家の良心か、あるいは常識的に考えたら犯罪なんてリスクが高すぎて割に合わないけれども、そうせざるを得ない立場に追い込まれているのか、あるいはリスクヘッジができないくらい愚かなのかって描いているか、なんでしょうかね?

 犯人の立場に一抹の同情を覚えますが、しかしそれでもそこから社会に踏みとどまる方法はあった筈で、それを踏み外すのはやはり上記のカテゴリーに当てはまるのかと思ったりしたり。

 三作目はまた本屋を覗いたら購入します。

 

 

 

儲かりゃしないけどバタバタした

 落ち着いたので日記にかかります。そんなに焦らなくても帰宅してから書けばいいぢゃないと思う時もあるのですが、昨年win11に書き換わってから、なんかキーボードとかネット接続とか、挙動が怪しい時が増えたので、書き上げたわ、消されたわ、では疲労感しかないので、まだ信用度がある店のPCで書いています。こちらはwin10です。いずれ自動的に更新させられる気がするけどネ・・・

 そして、ようやく書きます。

 

 ヨカッター!!!!!!!

 以上です(オイ

 いや、まぁ、信じていましたよ(大嘘)。ヴァニーを信じていましたよ(どういう面で?)。そして飛行船はパワーアップされる・・・かも知れません。そこに至るにはまだまだ冒険が必要なようです。

 しかし桑原さんの背景は、宮崎駿さんの漫画版『風の谷のナウシカ』を彷彿とさせて、大変アタクシ好みでして、ヴァニーの故郷の都城とか、込み入っていて、こう、ワクワクしませんかねぇ?飛行船が稼働すると空とか、龍とかの描写が主になるので、都市に滞在している間の背景とか、すっごくワクワクするのですよ。あ、もちろん空とか龍とかも好きですよ、はい。

 次巻も楽しみです。

 

 売野さんの漫画で少年主人公というのは珍しいのかな。『MAMA』は青少年って感じでしたからね。物語の世界の背景説明は、まだぼんやりとしかされていないので、この世界の王位継承がどういうシステムなのか判然としませんが、王族の血縁である事と、魔法の使い手である事が条件・・・みたいな?王子と言いながら王の孫にあたる人物が登場し、継承順位は低いみたいですが、それなりの扱いをされているみたいだし。

 魔法が重視されるのは魔物が徘徊する世界なので、それを撃退するのに有効だからですが、その魔物も身体の一部分みたいな発現?現れ方をしており、その魔物の存在の説明が、この世界の根幹に関わるのかなぁ、と。

 第一巻末はボーイとガールがミーツしそうな手前で終わりました。『君の会いたい』という表題からすると、なかなか会えない展開が予想されるのですが『君』は彼彼女の事ではないのかも知れません。どうなるのでしょうか。次巻も楽しみです。

 んで、もう一つはコレ。


www.youtube.com

 TVアニメ『平家物語』のOPが公開されて以来、フルバージョンの解禁を待っていました。曲を聴いて涙腺が緩みそうになるっていうのは、初めてかも知れないです。感情移入しすぎですかね・・・CD発売が待ち遠しいです。

寒い!!

 昨日の雨も寒かったけど、雨は引きこもりの言い訳ができるから昨日は外出しませんでした。今日は雨ないからね。風だけだからね・・・その風が寒いねん!!

 致し方ないけど。

 1/9に放映された大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は三谷さんらしい脚本で楽しかったです。最後の顔見世シーン集は・・・まぁ人それぞれって事で。一般に馴染みの薄い時代だから前半の主要登場人物を紹介して期待感を煽りたいって事かな。1/16の回も楽しみですねぇ。

 なので映像作品の感想を続けます。

 

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 イギリス映画なんですよね?この情け容赦のなさはハリウッドとかロシアとかにはないし、この乾いた感じは日本でもない(登場人物が日本人で構成されていない点で日本映画ではない)

 第一次世界大戦塹壕戦、戦場で錯綜する情報、霧の中の戦争って感じが凄く体感できます。メダル・・・勲章を喉が渇いていたからってフランス軍の将校に葡萄酒と交換であげたとか、ああ、そういう感覚解るかも、と。無自覚で褒められる、引き換えに同じ部隊の人間が何人も帰らぬ人となっている事を思うと、勲章をもらってもあんまり高揚感を感じないかも。

 要所要所で登場する将校たちにコリン・ファースやら、マーク・ストロングやら、ベネディクト・カンバーバッチやらが登場したのが、声で分かったのも楽しかったです。顔は良く見ないと判らない人もいたナ。

 最近の自分はイギリス映画の醒めているけれども、なんか、こう、訴えかけてくる感じが好みなのかも知れません。

 

 『開かせていただき光栄です』シリーズの最終作と言っていますけれども、特に前の話を知らなくても楽しめます、というか自分もうっすらとしか覚えていなくても大丈夫でした。英国での刑罰を新大陸で志願兵となる事で帳消しにする。そんな制度をつかって新大陸に向かったものたちがアメリカ独立戦争、それもカナダを巡る攻防に巻き込まれていく話です。開幕は違うけど。

 一応通史的にアメリカ独立戦争を知っているので、無条件に独立する側を肯定していなかったせいもあり、「ああ、そうだよねー。綺麗ごとはその立場の人や人種だけのもので、そこからあぶれている少数派、弱者にとっては、特に栄光ある事でも、名誉なものでもないんだよなー、戦争って」という感想を読後に得ました。

 シリーズの主役ともいえる人物の末路が、物語の終末を告げている感じがして、幸せな結末もあったけど、暗澹たる気持ちになる部分もあり、こういう一筋縄でいかないところが、自分は皆川さんの作品の好きなところかなぁ、と思っています。

 ああ、今日も『空挺ドラゴンズ』の感想書けなかったわ・・・明日ね。

久しぶりの雨

 なので時間を見て本屋に自転車を走らせる案はないです。1/8発売の売野機子さん作『君に会いたい』という漫画を買い損ねているので、できれば行きたかった。マイナーな作家さんの本は入荷しても少数なので、連休中に出てしまっている可能性を否定できない・・・なかったら通販だよなー・・・

 まぁ綾辻行人さんの『館』シリーズが気に入ったので刊行順に読もうと思ったら、やっぱり通販になるんだけど(本屋の棚には著名なシリーズ一作目しかなかった)

 という訳で三連休は飲みに行ったり、読書したり、録画映画見たりといつも通りです。読み終わったものから行きましょうか。

 

 外交は難しいよなぁ、という事です。日本でいうところの中国ポジである王国が、国内の自国シンパを増やしつつ、国境から浸透し自国民系住人を煽る事を目立たずやろうとしていたら、そう企図する在共和国大使と思惑とは裏腹に、この物語でほぼ潜伏しながら、ほぼ全てを俯瞰している王国女性工作員が、趣味ぢゃないからって在共和国大使の企図をひっかき回しています。おかげで王国側は外交的に失点を被る軍事衝突が起こしてしまいました。

 ややこしいけど、この後どうなるんでしょうね。にひひひ・・・

 

 これは借りた本です。どうして渡邉さんの著作を忌避していたのか、よく判らない。以前読んだ本で、はなはだ信憑性が乏しい『後漢書』に依拠した話をしていたからかなぁ。

 しかしこの本を読むと、三国時代の流れを喝破している感じです。曹操が何故『奸雄』とされ憎まれるのか。それまでの漢王朝が支配の根幹に据えていた儒教が人々(特に庶民の)信頼を失い、それに代わるものとして文学と猛政(法の適用を厳しくする支配)を用意し、その後の中国諸王朝の支配規範に著しい影響を与えた存在なのですが、しかし彼の王朝が永続する事無く滅び、その後継王朝も短時日で滅亡。中国が分裂期に入ってしまい、その分裂期の人々がよりどころにするのが統一王朝の漢であり、その復興を最後までもくろんだ蜀漢こそが『正統王朝』と主張すると、蜀漢を圧倒した曹操曹魏は完全に敵役にならざるを得ません。つまり必然的に憎まれ役に。

 関羽が『神』にまでなったのは後の軍事的に比較的弱体で外敵に悩まされた王朝が、彼を軍神として祭り上げたのが最初で、その軍事物資調達を請け負った山西商人の根拠地は関羽の出身地で、そもそも関羽自身も当地の特産物である塩の交易にかかわったと思われると。なので山西商人が関羽を財神と崇め、それが広がっていたという。

 諸葛亮が慕われるのは智謀というよりも蜀に経済的繁栄をもたらした後に、経済負担にならない程度で北伐を遂行した為で、それを考慮しなかった後継者姜維は劣勢になると簡単に切り捨てられたとか。あと諸葛亮を含む儒学の一派荊学は神秘的な方向に寄っていた後漢時代の儒学を(こじつけみたいな予言書が流行していた)、実践的なものに改め、その後の儒学発展の方向性を決定したとのこと。

 三国を統一した司馬氏の天下が長く続かなかった理由は、政権を担う名士を貴族化(曲がりなりにも個人資質の評価が名士となる基準であったのを、家柄、出自で保証するようになった)して皇帝への従属度を増し、それなら中央集権が進むのですが、司馬炎曹魏へのアンチテーゼで厚い服喪をしたら何年も女性と接する事ができず、自分の後継者が皇帝不適格者の長男以外おらず、それを取り戻すように子供を乱造して藩屏として王にした結果、軍事権を握った諸王が権力争いを初めて弱体化したという・・・

 改めて読むと司馬氏の天下取りは悪辣で機会主義で、理念的なスローガンもなく、ああ、天下とっちゃいかん人々が、とっちまったらこーなるのねー、という話に。

 あ、長くなってしまった。今日はここまでにしておきます。