pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

正義の味方よりも

 キャラ的にこういう人たちの方が好きなのです。

 

 言ってしまえば自己中で冷酷で変人ばかりの『ヒーロー』たちが、冷徹冷酷な国の機関に弱み握られ使われて、トンデモ秘密作戦に従事する話なんですけれども、他のヒーローものなら過酷な状況でも乗り越えて、って事になるし仲間の死は悲劇的でドラマチックに盛り上がるのですが、いや、それがないとは言いませんが、しかし何処か滑稽で間が抜けていて、悲惨で悲しいけれども、自業自得だよね?とか、いや、なんか喜劇的だよね、という感じになる。まぁ総じてブラックなのです。

 解決するトラブルも間抜けさから、やらかした国の尻ぬぐいって感じだし、何処にも感情移入するところは・・・あ、万引きした娘が過酷な刑務所に入りになってもいいのか?って脅されるぱぱんヒーローに同情するぐらいかな。ハーレイ・クインは相変わらず、すげいな。潜入国の大統領に見初められて、秒で恋に落ちて、しっぽり夜を楽しんだ後、大統領が好きになったのに彼が「逆らう者は老若男女、子供であろうと皆殺し」って口走った瞬間、躊躇なく引き金引いて大統領の胸に大穴開けるんだもんな。それはダメだろうって。んで撃った事は後悔しないけれど、愛した男が死んでいく事には涙するという、この破綻っぷりがらしくて好き。

 登場するヒールヒーローたちのこういう感性が結構好きなんですよね。ためらいなく悪事、殺人だってへっちゃらな連中だけど、自らの規範に少しでも外れると、誰であろうと容赦しないってところが。何処までも下衆な奴もいるけれど、そういうのはだいたいグッバイしちゃうし、最終的には戯画的に、ちきうを救っちゃうし。王道というか正攻法で善人のヒーローが苦悩した挙句に世界を救うという物語も悪くないけど、なんか、こういう悪ノリと自己中な理由で、ちきうを救うという物語の方が自分は合っているかもしれない、と思う。スーパーマンよりもバットマン。そしてバットマンよりも彼らの方がより人間に近くて好き、なのかも。

 最後の落ちもね、正攻法の火力がそんなに大して大ボスにダメージを与えられず、小動物の大群が有効ダメージを与えるとかね・・・思わずTRPGでスウォームクリーチャーに苦戦した挙句、死んだ記憶がよみがえるわ・・・

 この手の作品、ディズ〇ーは手を出さないだろうから、〇ィズニーとは関係なく映像化して楽しませてくれたらいいなぁ、と思いました。いや、デ〇ズニーに他意はないけれど、映像コンテンツ、自社の配信会社以外に出さなくなったから見る機会が減りましてね。だから好きなタイプの映像はディズニ〇と関係が薄いと嬉しいのでありました。

冠婚葬祭は夏以外が望ましい

 昨日の日曜日は母親の三回忌でして、一応法事は今年が最後らしいです。自宅で読経してもらう事はやりそうだけど、その場合は正装しなくてもいいので楽ですよね。特に昨日は雨上がり晴天で蒸し暑くなりましたから、余計暑く感じました。

 ああいう葬祭に参加する度に思うのは、主役は喪主だよなぁ、と。亡くなった方は死後自分がどのように扱われるのか、一応確認できない事はありえないと思っているので幽霊となって現世を観察する事はできないと思っていますから、まぁ判らないですよね。となると葬祭を主宰する喪主が主役になる訳でして、葬式は亡くなった本人は主役にはならんよなー、とか思ったりしたり。

 『鎌倉殿の13人』冒頭では助かったかと思ったけど、やっぱり範頼・・・。あと大姫のエピソードをこんな風にもっていくとは思いませんでした。まぁ客観的に見れば頼朝、大姫を入内覚悟完了!!って感じに育てられなかったのが敗因ですね。二女にもそういう教育ではできなかったし。情報が乏しいのか、頼朝自身にもそういう覚悟が足らなかったのか。

 そして予告を見る限り久々のコメディ的な頼朝さん・・・う、次回グッバイの予感がする・・・

 そして読み終わったもの。

 

 読むたびに思うのは、この漫画、脚本が好きなんだなぁ、と。描かれている人物像もね。北部に展開している武装商会の責任者のキャラも好きでしたなぁ。個人的に次巻エピソードが楽しみなのですよねぇ。

 そんな感じで、待つ次巻。

 

 雪音はとうとう真実を知ってしまいました。二親が展開的な毒親・・・うぁあああうぁうぁうぁああああ!!こういう奴、金属バットか何かで殴りたくなる!!(危険

 親として以前に人間としてダメな連中・・・まぁ父様も形は違えど、ロクデナシの毒親なんですけどね。この漫画、ある意味、毒親に育てられた子供たちの物語と言えるのだろうか?

 そして神の元締め、父様の宿敵であるアマテラスの「生きるものは生き、死ぬものは死ぬ」という発言がね、とても神様らしくて超然としていてヨカッタですね。他の神々があまりにも人間臭くてアレなのにね。そう思うと父様の敵意というのは、凄く子供っぽくって、そうか毒親というのは未熟な自分の処理できない問題を、自分よりも非力な、自分以外に頼るべきものがない存在に押し付ける連中なのか。そう考えるとブラック企業って毒親に近いのかも。薄利多売で仕事ばかりが多く利益が薄いから、それを社員に還元できない。するつもりがない連中って自らの非力を属する者に転嫁して解消しているって事で、問題の先送りというかトラブルを外注しているというか、そんな感じかしらん。

 このイメージ・・・伝わる?間違っている?どーなんぢゃろ。

 そんな事をつらつら考えてしまいました。ほんとは月曜日はそんな余裕はないのだけれど(あ

油っぽいものがつらい

 まぁ昨夜、やり過ぎました。ポンジリって油っぽいんですね・・・いや最初に玉ねぎ炒める時にオリーブオイル入れすぎたってのもあって、昨夜の一人飲みは全体で見ると失敗。焼肉ネタで赤葡萄酒を飲む、というコンセプトでしたがのぉ。酒は美味かったけどネ。

 そんな風に飲みながら見たのが録画しておいたコレ。

 

 ダニエル・クレイグ主演の007最終作品という事で、ラストもそんな感じです。しかし作中に「007なんてただのナンバーだ」みたいな発言があって、引退したジェームズ・ボンドに代わって007になったのが女性とか、今までにない展開ですね。

 あと、笑っちゃいけないと思うけど、ラスボスの本拠地に何故か広間で畳敷きの場所があったり、枯山水の砂敷みたいなものを加えた毒草庭園があったり。前述の畳敷きでのシーンでラスボスもボンドも正座していて(座布団もあった)、ボンドが土下座しているシーンがあって、凄い屈辱的なのに、どうしても笑いを止められなかった。

 なんでしょうね?敵の本拠がロシアと日本の国境に近い、つまり北方四島近辺という設定だからですかね?元潜水艦基地という設定らしいけど、ロシア海軍の基地だったかな?それなのにとってつけたように日本チックな美術を配しているから、その癖日系っぽい出演者もいなかったし、たぶん中途半端な設定に笑いを禁じえなかったって事なんですかね?北太平洋に英海軍の戦艦?まぁ巡洋艦だと思うけど、が出張っていて、ロシアや日本はおろかアメリカからも抗議されているって・・・まぁ今回の大量殺戮兵器はMI6が中心になって英国がこさえたようなものだから、身から出た錆を処理しなきゃならないから、他国の協力なんて仰げないものね。ラスボスの設定もなんか、ふわふわした感じだし、納得できるストーリーではなかったかも。能面が使用されている意味もなかったみたいだし。

 とにかく陰のある悲劇的なジェームズ・ボンド像を作り上げたダニエル・クレイグ出演シリーズは終わりました。もし007シリーズを続けていくとしたら、まったく異なったジェームズ・ボンド像を一から作り上げなければならない訳で、どーするんでしょうね。彼が戦う敵役組織の作りこみも、しっかりやってもらわないと説得力がなくなってしまうし。まぁそこまで007シリーズに思い入れがある訳ではありませんが、つくるなら面白いものをつくって欲しいですよねー。

両上杉家

 こういう書き方、言い方はしないけど、なんとなく書いてしまた。

 

 はい、マニアしか知りませーん。室町~戦国初期に関東の政治勢力として、常にその紛争の中心にならざるを得なかった二つの上杉家です。山内上杉関東管領を代々務め、鎌倉公方を支えるけれども人事権は京の室町将軍が持っているという、鎌倉公方からすると身内?監視?という存在。扇谷上杉は、その山内上杉関東管領を交互に勤めていた犬懸上杉が『上杉禅秀の乱』を起こして没落した為、上杉一門のナンバーツーに躍り出た存在。とはいえ越後守護家のバックアップを受ける山内上杉の対抗馬ではなく、まぁ一門衆筆頭みたいな立ち位置。

 基本的に両者は外敵が現れると共同で対処してきました。古河公方足利成氏との三十年にも及ぶ享徳の乱も一緒に戦ってきたし、山内上杉家宰家になろうとした長尾景春がその職につけず、不満分子と起こした反乱にも一緒に(主に太田道灌が)戦い、鎮圧しました。

 んが、室町期までお互いのテリトリーは決まっていながら錯綜していた領土が、この景春の乱によって変わります。具体的に言えば江戸など武蔵や相模の山内上杉家臣で景春与党を制圧した太田道灌=扇谷上杉が、戦果として自分たちの領土にしてしまったのがきっかけ。そりゃそうだわね。扇谷にしてみれば苦労して鎮圧した報酬だと思っているし、山内にしてみれば奪われたと同じだし。

 両者が対決するのは扇谷上杉定正が家宰太田道灌を抹殺し、その嫡子が山内上杉を頼った事から。太田道灌上杉定正の対立は、この時期よくあったNo1とNo2の対立で、力をつけすぎた(特に太田道灌は自尊心が強く、我が強い人柄だったようで軋轢が起きやすかった)No2をNo1が排除に成功した例で、山内上杉はそのトラブルを口実に失った領土を取り返そうとした、という感じ。

 ここに当時中央の命令で堀越公方足利茶々丸を排除した伊勢宗瑞がかかわってきます。別に伊勢宗瑞が野心のままに介入したというよりも、隣国の安定を得るために扇谷上杉に味方したという。そして山内上杉は保護していた堀越公方が排除されたので、それと政治対立していた古河公方と和睦が可能となり、山内VS扇谷の対決が鮮明になった、と。

 この両上杉の争いは、結果的に伊勢宗瑞が関東に介入し、後の小田原北条家が南関東の覇者となるきっかけになった訳ですが、結果論ですね。両上杉家も自分たちに従う勢力の利益を守ろうとして争ったに過ぎず、その矛盾が解決(扇谷上杉の軍事的敗北という形で)されると両者は新たな外敵である小田原北条家と対する為、結束します。しかし室町的権力が戦国期領主になる過渡期に相争ってしまった為に、自らの地位を脅かすNo2を両家は排除しながら(山内上杉家のそれは長尾景春)、当主家が抜きん出た存在になる為の内政期間を確保できなかった為に、国人領主の連合体に過ぎず、より強力な統治機構を備えた小田原北条家との抗争に敗れ(配下の国人領主を切り崩されて、あっという間に勢力縮小、瓦解した)、わずかに山内上杉名跡上杉謙信に伝えられたってぐらいですかね。

 両上杉が存在した期間の1/4ぐらいが相争った期間で、それが致命的だったって、まぁ政治は世知辛いもんです。当たり前だけど。

今朝読み終えました

 新書ですね。

 今週から急激に仕事が暇になりましたが、積み読本もそろそろ残り少なくなってきましたのぉ。図書館から借りた本は軽く読むミステリーなので、感想を書くのもアレな感じ。漫画の新刊が明日明後日発売になりまして、どうせなら明後日買いに行くか、という状況ですから、購入する本は金曜日までないです。自宅にある未読・・・読んでいる最中の本は一冊で、あと一章ぐらいかな。明日書くネタはあるけれども明後日はどーすべかな、という感じ。木曜日に父親が飲みに行くから、その晩に見る映画の感想が書けるかなぁ・・・そんな、今書かなくてもいい見通しを書いて、感想です。

 

 藤原家の秀才政治家。叔母の後ろ盾で権力を掌握。それが失われて孝謙上皇との政争に敗れて処刑。そんな事が簡単に思い浮かびます。数字に強い能吏だったらしく、跡継ぎである兄豊成を排除し、聖武天皇の信認を勝ち取り出世していくのが、頭のいい人の怜悧を感じさせますね。

 唐風好みで律令制度の手直しを施し、その後の続く制度をいくつも残しています。特に『墾田永年私財法』を主導したのは決定的。東大寺大仏や、聖武天皇の遷都迷走を財政的に支えた計算能力とか、天然痘流行により自身の父を始めとする藤原四子を含む高官たちが死亡した為、質量ともに官僚を補う為に教育を重視する施策をしたりしています。頭がいい人にありがちで、自派についてこれない人には冷たい。

 その権力を自派で独占する感じは平家に通じるところがあり、権力の独占は孤立化を生む事になります。利益配分を間違えている、というか、広く浅く権力層の人たちの支持を得る形で浸透すれば、孝謙上皇との対立も勝てたかも知れません。この時代は律令体制の成熟というか、たとえ天皇その人であろうとも手順を踏まなければ命令を下す事ができず、仲麻呂の乱でも(筆者は『孝謙上皇の乱』の方が正しいと述べています)命令を下す鈴印の争奪戦が勝敗を決しました。仲麻呂は政府を完全に掌握していた筈なのに、その命令を下す手続きに必要なアイテム一つを確保する事ができなかった為に反逆者になったという。

 しかし仲麻呂は後世の藤原氏全体に対して多大な恩恵を施す事になります。家伝などの編纂資料で始祖鎌足、祖父不比等が『特別な』功臣であるというイメージを作り出し、天皇は藤原という特別な氏族との婚姻によって即位資格を得る、というイメージを醸し出す事に成功します。彼の属した南家はこの後振るわなくなりますが、平安初期の式家、そして以降の北家、摂関家藤原氏は官界をリードしていく事になります。

 どうも彼と聖武天皇が、それまでの壬申の乱の功臣が特別視されていた傾向を、律令制度を整えたもの、特に藤原氏を特別視する傾向に改めた印象があります。その意味では歴史を作った男と言えますね・・・って、ここまでたどり着くまでに叔父から送られてきた一か月分の伝票処理で四十分ほど仕事がガガガ・・・

 そっか。暇と呟けば仕事が生まれるのだな!!(チガウ

 いや、儲かる仕事が増えて欲しい・・・

雨が降るりるら

 たぶん今日あたり名古屋も梅雨入りですかね?今日明日は雨が降る予定なので、ちょっと肌寒いかも知れませぬ。長袖にすればよかったかな・・・

 読み終わった本もないので、何を書けばいいのやらなんですが、まぁ来月は参院選だから選挙始まると迂闊な事を書けないしなぁ。少しそんな事を書くかな、と。

 前にも書きましたが自民党だろうが野党だろうが、積極的に投票したい政治団体というものが見つかりません。個人的には、たとえば表現の自由を守る方向性で政治活動をしている人(掛け声だけではない人)には投票するつもりですが、そういう人は自分の政治目標達成の為に自民党に属してみえまして、自民党の厄介なところってこういうとこなんですよねー。

 党としての全体は好きになれない。投票したくない。しかし個人として活動を評価したい、応援したい人がいる訳で・・・んぢゃあ他の政党はどうなのかというと、個人的に応援したい政治家が見つからないのですよねー。目に見える支援者の声にこたえるのはいいけれども、泥縄式の、つまり当選できればなんでもいい、みたいに見えて、その人自身が何を政治目標にしているのか、その政治目標を自分が支持できるのか?というのが解らん、というか信じていいのか?という疑問を抱かざるを得ない。

 政治の本質は失政ですが、失政の可能性が付きまとっても、掛け声だけではなく説得力のある行動、努力をして欲しいし、それを理解できる形で宣伝して欲しい。

 とはいえ電力不足の問題は、原子力発電を復活させないと解決できないし(自然エネルギー利用は聞こえがいいけれども出力が小さいし安定しないし、補助発電とならざるを得ないのが現状)、経済の安定成長には労働環境全般の改善・・・ぶっちゃけ正規、非正規問わずの賃上げと労働時間の定時化が必要だけど、安い労働力が経営者の夢になっているから法的な規制やら特典がなければ無理。法人税を重くすれば節税対策で給与を増やすだろう、という意見を聞いた事があるけれど、そんな単純な問題なのか?いや投票率が低い現状、庶民の方を向くよりも経営者の支持を得た方が得票に結び付くと自民党は考えている訳で、これを変化させないと経営者優遇の政策を続く事になる・・・

 では野党や他の政党に投票したいのかというと、はっきり言えば両民主、共産、維新、れいわ・・・どれもこれも怖くて投票したくない。公明は何をやりたいのか判らない。自民党政権は維持されても、その議員数を減らして危機感を持たせたい。そういうところが望ましいのだれけども、じゃあ何処に投票するんだ????

 どーすりゃいいのか思案は続く、という事であります。

 

二日連続マダミス

 土曜日は劇中劇のある珍しいマダミスを、日曜日は四人用のミニマダミスをやりました。んで最近思ったんだけど、ゲーム中に真相にたどり着けるのって、たぶんに運次第な面が強く、個人的に一番の楽しみは終わった後の種明かしで「なんだってー!!」と叫ぶ事かも知れない、なーんて思ったりしたり。もちろん謎解きも楽しいのですが、何処かに限界が生じるよね、と。時間的な制約、入手できる情報の運、不運。コミュケーションの取り方・・・つまり謎解きメインにするともにょるかな、と。全体的な物語性を楽しめる作品が自分は好きなんだろうなぁ、とか思ったりしたり。もちろん二日楽しませていただいたマダミスは、両作品とも面白かったです。にひひひ。

 あと『鎌倉殿の13人』。曽我の敵討ちエピソードで、ああ、こういう風ね。すけべ心で助かる頼朝ですが、そろそろ自分が役割を終えているのではないか、という不安を抱いている・・・次々回ぐらいで亡くなりそう・・・あと武芸はともかく緊急時の判断力に優れていると表現された頼家くん・・・そっか危篤状態になったのが不運みたいな描き方するのかな。んで範頼の件、結構深く描くおつもりのよう・・・今回と思ったけれど、次回彼がグッバイ!!

 それから姫の前と義時の関係、史実だと八重と義時の関係に近いのですが、こちらは完全に創作ですねぇ。まぁ八重との関係性を思えば史実通りにするとキャラ崩壊してしまいますもん。

 そして読みか終えた本。

 

 表題通り、第二次大戦で活躍した将帥たちの読み物です。この辺のエピソードは良く知らなかったので新鮮なのですが、この分野も近年、研究が進み、彼らも生きている間は自分たちに都合のいい印象を自ら広めていて、亡くなって、関係資料とかも公開されて研究が進むと、そうでもないぞ?こいつの手・・・真っ黒ぢゃねーか!!ってというのもしばしば。その傾向は生き残ったドイツの将帥に多く、アカンことは全部ナチスのせい、ヒトラーのせいにして、戦時中、自分も全滅戦争に積極的に関わったとか、人種差別・・・虐殺を良くて見て見ぬふり、だいたい解っていてその行為を当然の事と理解していたって人がほとんど。植民地主義帝国主義者のもっとも黒い部分を担っている感じ。

 組織的にダメな連中ってというのは日本軍部で、何というか、イヤな連中というか、近視眼的な連中が多いよな、と。だから負けたんだけど。

 連合軍側の将帥も自らを演出する事、同じようなもので、繊細な性格を粗暴や豪胆な言動で隠す人は珍しくない。あと、リソースに恵まれている英米軍の将帥は、実戦指揮官よりもマネージメント能力に優れる人が評価される傾向にあるっていうのは、初めて知りました。ま、必要な時に必要なだけ必要な場所に人、モノがないと戦いに勝てないのが戦争ですもん。基本を満たす事に長けた人が多ければ勝率は高くなりますよね。

 そのリソースに恵まれない側の日本軍をインパール戦で徹底的に叩いたイギリス軍の将軍が、階級主義のイギリスでは珍しい兵士からの叩き上げっていうのも面白い・・・というか、一般社会が階級社会だからこそ、非常時の組織である軍隊は、アウトローとか、はぐれものとか、そういう人材に活用の場を与え、評価しているのがイギリスの軍隊文化だったようで、何処までも学閥、官僚主義な日本軍とは違うなぁ、と思ったりしたり。やはり息長く勝者であり続ける連中って、どこかに柔軟な部分を持っているんだよなぁ。硬直しているからこそ、状況の変化とかに対応できなくて崩壊するとも言えますが。

 そんな本でした。