pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

手間取っています

 V:tMNPCデータをどうしてやろうかと・・・まぁメイジのルールに乗っている吸血鬼データを流用すればいいぢゃない?と今朝気づきましたが(オイ

 そんな幻想さん絡みで、ちょっと・・・ええっと来年の二月十六日十七日にお泊りコンをされるのですが、二月十七日・・・東京コミティアとかぶったorz。あうち。んまぁ、この期間だと深淵第二版のシナリオを回す事を自分に課している訳ですが、泊まり込みでシナリオをやるという事は、ミニキャンペーンに等しい・・・深淵ってキャンペーンやりにくいのですよ。必然的に推定寿命を削るので、タイトな判定をさせ続けると残りの推定寿命が十年切るなんてざらにある。それで次のシナリオ・・・ってヤバいってもんぢゃないですよねー。それをどうするか、考えなきゃならなかったんですけれども、ある意味、解放されたってか?あ、後ろ向きな解釈。

 さて、読み終わったもの。

 

室町将軍の御台所: 日野康子・重子・富子 (歴史文化ライブラリー)
 

  率直に言うと・・・ちょっと感覚が古い?最新の研究成果は、ご本人のもの以外はフィードバックされていない感じもします。

 室町期の日野氏は将軍の御台所・・・正室を輩出してきた公家です。三代義満、四代義持、六代義教、八代義政・・・なんで日野氏が、というと、北朝光厳院の妃で崇光、後光厳の母になった人が日野氏の出で、足利将軍家は義詮から北朝天皇家を推戴、安定化させる事を使命としてきたので、その天皇家と間接的に姻戚関係になり、バックアップする事が最初の目的だったようです。義満なんか最初の妻が亡くなったら、後妻にその妹と結婚しているほど。

 ただ義教の代になると、彼の個人的な性格もあるのでしょうが日野氏から迎えた最初の妻を棚上げして、別の公家から迎えた後妻と仲良くするという・・・ちょっと常識外れな事をやっています。ちなみに義勝、義政母の日野重子は側室で、将軍になった息子たちによって『国母』みたいな地位になりました。ご本人も常識的でしっかりした人だったらしいけれども。

 なんで日野富子はその系譜なんですが、しっかりしない夫、夫との対立で酒におぼれて早死にした息子の代わりに足利将軍家後家として、つまり家長としての役割を負っていた為に資料が多く残ったようです。著者からするとお金の使いどころが良い、とのこと。応仁の乱終結に側面からサポートしたようです。具体的に言うとお金がないから撤兵できない敗北した西軍諸将にお金を提供して(貸したのか、あげたのか定かではないけれども、著者はあげたのではないかと推測)、すみやかな撤兵を促したようです。

 まぁ、そんな感じですかね。