pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

考えたくない事の大半は終わった

 まぁね、人を雇う程仕事量がある訳ではない自営なので、集中してやれば、それでも一時間半ほどはかかっているか・・・?まぁそんなもんです、はい。後は気楽ですよ。

 金曜日から日曜日まで、南木曽の温泉にいました。馬籠宿と妻籠宿という街並み保存をしている旧中山道の宿場町後を回る以外は、ずっと宿に籠ってボドゲしていましたっ!!久しぶりにカタンやったりマインドという悶絶するようなゲームやったり、面白かったですよ。だいたい午後から酒飲みっぱだったし、温泉入り放題だし、食事はバイキングだし・・・流石に二泊すると食事のバリエーションが繰り返されますが、バイキングは危険なんですよ。全種類制覇したくなるから。少量づつ取るようにしていますけれども、やはりね、腹がはるはる・・・

 あと、敬遠していました信州ワインでも、これはイケるんぢゃね?というものを見つけました。例によって銘柄は覚えていません。まぁだいたい解ります。思い切って土産で別の銘柄で、辛口、フルボディと販売側が主張しているものですが購入してみました。ネタで家族に振る舞うつもり。

 そんなボドゲ合宿ですが、スマホ持っている人はブラウザゲーのデイリー回すのですよ、暇を見ると。んでアタクシはガラケーなので、他の全員がデイリーやり始めたら手持ち無沙汰になりますよね。なので持ち込んだ一冊を読め終える事ができました。合宿中に一冊ではなくて、三分の一ほど残していたものを読み終えたのですがネ。

 

織田家臣団の謎 (角川選書)

織田家臣団の謎 (角川選書)

 

  専門は企業集団、企業系列の研究されている方で、その手法で資料を当たって書いて見えるので、自分の書いている事が絶対正義と主張するファナスティックな人たちとは違います。

 織田信秀時代は譜代直臣というよりも織田守護代家との協力の下に対外戦争を行っていた信秀は与力という形で家臣団を拡張、主に西三河への侵略戦争に邁進していたようです。

 信長は親から引き継いだ与力家臣の造反を経験しているので(おそらく)金で雇った国人領主の次男、三男を雇い、旗本衆として組織し、それを率いて尾張統一時代は戦争していたようです。

 面白いのは桶狭間の戦いで今川が負けたのは松平元康がその時点で西三河の支配権を取り戻すために今川家を裏切っていたのではないか、という説と、明智光秀本能寺の変を起こした動機は、六十七歳で老齢の光秀が十二歳の嫡男に自分が築いた地位を全て引き継がせようとして信長に拒否されてしまったのではないか?生前相続を目論み軍法を定めて息子に軍勢指揮権を引き継がせる準備をしていた光秀ですが、それが果しえず、信長に引退を留保されたところで絶望し、本能寺直前の軍事力の空白を確認した時、発作的に信長父子を滅ぼしたのが『本能寺の変』ではなかったのか、という説です。

 特に『本能寺の変』に至る光秀の心理としては、状況証拠でしかなく推測なのですが、他の説よりも自分には説得力があるように思えました。自分が築いた地位、財産を息子に継がせる事を信長に拒絶された老齢の光秀の絶望。他の勢力と共謀した形跡がないのですから、光秀個人の決断で行われたのですから、光秀の戦術家としての才能が光り、そして根回ししていなかった故に孤立した、という状況も理解できますしネ。