pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

まだ読み終わっているものがあるのです

 過去に読んだのかどうか、ちょっと思い出せないのですが、まぁ書いておこうと。ダブっているかも知れないけれど。

 

足利義晴 (シリーズ・室町幕府の研究3)

足利義晴 (シリーズ・室町幕府の研究3)

 

  戦国期の足利将軍としては、もっとも資料が残っており、一応典型的な戦国将軍って事になるのですかね。

 父親である足利義澄が三十代で早死にしたので、ローティーン時代から室町幕府将軍を後見なしでやらねばならない。更に彼を支える細川家が絶賛内部分裂の真っ最中で、諸国の大名からも顧みられない・・・と思いきや、戦国期の諸国の武将たちは自分の立場の正当性を担保する為に、積極的に将軍周辺に接近し支持を取り付けようとします。またロビー外交のようなものを展開し、更に政争に負けた立場の人間は、情報収集と将軍への働きかけを目指して京に集中します。

 こう書くと戦国期でも将軍の権威は安泰じゃん、思うぢゃん?ちゃうねん。

 彼にも兄弟の足利義維という対抗馬がいまして、それが細川家の内部分裂と絡まって京に常駐できないほどの争いになるという。しかも義晴、利己主義でして、それまで自分を支持していた細川晴元が劣勢になると彼を切り捨てようとして、彼が勢力を盛り返すと、やっぱりくっつくという事をしています。

 このパターン、息子の足利義昭もやろうとしまして、元亀争乱で自分の主要支持勢力である織田信長が劣勢になったな?と思ったら彼を見捨てて敵対勢力と接近、つまり信長を切り捨てようとするのですが、それは実は判断ミスで(軍事的優劣はあっさりひっくり返るしネ)、結局義昭は自ら裏切った手前、信長との和解をする事が出来ず、都落ちします。でもこの段階で誰も室町幕府が滅んだとは思っていません。彼の兄義輝も、父義晴も、そして彼らの対抗馬であった足利義稙なんて十年間亡命生活したのちに復権していますからね。

 実は足利義昭が政治的に立場を失うのは、京周辺の治安維持を織田信長に託すよりなくなった朝廷と、独自の政権運営を考え始めた織田家の思惑が合致して、信長に足利義晴の先例に則った官位、従三位権大納言兼右大将が授けられた瞬間ではないかと思うのですよ。これで現任征夷大将軍足利義昭と信長は同等、観方を変えれば信長の方が社会的地位は上になりました。そもそも『幕府』とは近衛大将を指す言葉だったらしいので。

 再読ですが、なんか新しい事に気づいた気がします・・・再読でないかも知れないけれど(オイ