pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

昨日ゲーム内で話していたこと

 ブラウザゲー内ギルドで、ちょろりと靖国放火の事件が話題に上りまして、文化財に放火なんて許せないとの発言があった時、少し違和感を感じたのですよね。んで考えてみると、あ、自分、靖国神社を宗教施設ではなく、政治団体と見なしている部分がある、と気がついたのでした。

 戦犯を合祀する事を問題視する発言は多くあって、そのせいなのかなぁ、とも思ったのですが、鴻上尚史著『不死身の特攻兵』とかを読むにつれて違和感の正体が自分なりに判明したような気がしたのです。

 靖国神社護国神社は、戦争(建前上国防という事になっている)で戦没した兵士、軍人を『英霊』として国家守護の神として祀る施設です(と自分は理解している)。もちろん一般兵士や下士官は命令のまま戦地に赴き、命令のまま敵を(人を)殺し、命令を実行した過程で戦死しているので、彼らのおかげで国が守られた、と称揚する事は納得できんでもない(そういう免罪符がないと兵士なんてやってられないし)

 しかし将校は別です。特に軍が政治の実権を握り戦争を遂行していた第二次大戦中は戦争の行方を左右し、和戦(敗北による平和も含めて)彼らの判断に委ねられていたのでした。そして戦局が悪化するとともに彼らが何をやったかというと、厭戦気分を払拭する為に『特攻』をさせ、つまり国益の追及ではなく敗北責任を恐れて、軍という組織、政府という組織、それに属している自分自身を守る為に、戦争を継続する、つまり戦争の為の戦争を継続する事を選択した人たちでした。

 理性的に考えれば軍主力が無力化された時点で敗北を受け入れた方が、国土が焦土化された時に無条件降伏するよりも遥かに人も財も保全できる筈です。だが彼らはそうしなかった。戦争を指導した事を非難され、自分たちの立場を失う事を恐れ、挙句は守るべき国民を死地に、あるいは『特攻』という自殺行為に駆り立てていったという事実があります。

 そんな連中を神に祭り上げたら、守るどころか自分たちの名誉のために全滅しろって命じてくる残酷な存在になるんぢゃないの?

 靖国神社が戦犯を祭るという行為は、旧軍部との繋がり故に仕方なかったのでしょう。氏子(というのかどうか知らないけれども)の大半は軍属でしたでしょうし。彼らはそれでいいでしょう。そういう立場なのだから。でもそれと政治的に相いれない、あるいは彼らの行為を納得できない自分のような人間が、靖国神社を参拝する必要性は感じられません。参拝した事もないし。政治家が参拝するのは、彼らも軍人たちと同じ思想であり、自分たちの属する組織を生き延びさせる為に国民を犠牲にする事も厭わない人間である、かも知れないと想像するのは個人の勝手です。

 無条件で祈りを捧げられない場所は、宗教というより政治団体に近いんぢゃないかなーっと、何となく思ったのでした。