pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

飲むときには自重しましょう

 金曜日の晩に焼酎を一本分飲んでしまったのですよ。翌日おしゃべりクラブさんがあるにも関わらず。PLだし焼酎だから大丈夫!!とか言っていましたが、土曜日6:30(休みの日でもブラウザゲーのノルマから逃れられないので)に起きた時に、少しグラグラしていました。

 おしゃべりクラブさん後にドイツ麦酒のお店に行き、なんやかんやいいながら1.33Lほど麦酒を飲んでしまって、日曜日、ぐらぐらしていました。だから日曜日やろうと考えていた事は吹っ飛びました。まぁ本とかアニメとかは見ていたのですがね(オイオイ

 そんな訳で翌日台無しにしない為に飲むときは自重しようとか考える(考えるだけです。

 さて、土曜日のおしゃべりクラブさんで久しぶりに『マギカロギア』を遊びまして、ああ、そうそうこんな感じ。魔素の管理を、今回のGMさんはおはじきでやっておられたのですが、こういうトークンみたいなものでやると、視覚的に解りやすいし管理しやすいですよね。そして、その用意とルール周りがぼんやりしているからGMした事なかったのですが、面白いですよねぇ。せっかくシナリオ集も購入してあるのだから、やってみようかしらん。そんな気持ちになりました。百円ショップでトークンみたいなものを購入しないといけないけどナ。

 そして読み終わったものを一冊。

 

今川氏年表 (氏親・氏輝・義元・氏真)

今川氏年表 (氏親・氏輝・義元・氏真)

 

 

  前に上杉氏年表を読んだことがあるのですが、それの今川氏版です。その事績が編年形式で書かれているので、だいたい今川氏とその周辺の事件の流れが解り、北条氏と武田氏が和睦同盟を組んで、今川氏真自身による大名としての今川氏再興が断たれたところで終わっています。まぁ今川氏自身は江戸時代も高家として存続するのですがね。

 これを見ると北条氏との関係、武田氏との関係が密接に関わっていて、両者と関係が良好になると安定する。そして代替わりの混乱を経験してばかりいるので、その都度人材が徐々に失われる事を経験しています。今川氏にとっての蹉跌は三河経営に当主自身が関わるのが、後付け知識からすると遅かった事が原因の一つかも知れないと思いました。遠い駿府から指令するだけの存在は親しみがないですし、三河経営の責任者太原雪斎が亡くなって不安定になり、義元本人が出向いて三河経営を本格化させた矢先の桶狭間の敗戦です。そして政権首脳陣がほぼ戦死という組織として致命的な傷。それにつけ込む武田信玄の野心。

 その流れがだいたいどのあたりから出てくるのかが解ります。氏真は自身で三河、あるいは遠江に出向いて問題処理した方が良かったかも知れません。三河は失陥し遠江は混乱を沈めるのに二年という時間がかかりましたからね。まぁそれよりも足元の駿河を固める事を優先したのでしょうが、蓋を開けてみれば駿河の国衆の大半は信玄の調略によって裏切ってますからねぇ。うーむ、政治リソースの割き方を間違えたのか?

 まぁ考えたところで終わった事ですけれどもねー。