pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

借りてきた本も読み終える

 あと一冊、あと数ページで読み終えます。今日の業務は午前中にうちとしては意外な時期の注文がまとまってきたので、それを裁かなければなりませんが、たぶんそれが終わったら時間があるので、そして今夜は町内の飲み会なので時間まで請求書を起す余裕があるので、図書館に行けるかな?

 

蘇我氏 ― 古代豪族の興亡 (中公新書)

蘇我氏 ― 古代豪族の興亡 (中公新書)

 

  著者の方の同じような本『藤原氏』を読み終えています。その前編に当たる本とも言えます。この方の説によると、そもそも古代の大王家に配偶者を嫁す事ができる氏族に葛城氏というのがあるのですが、これが一つの家系ではなく複数の葛城地域に居住する豪族集団であり、その中で稲目という人物の代で中心氏族となり、外来王家ともいえる継体天皇の、畿内王家出身の妃から生まれた欽明天皇に自らの娘を妃として嫁した事で、欽明天皇の兄弟であり、地方豪族出身の母を持つ義兄たちを退けた、といいます(日本書紀とかでは兄弟で即位した事になっていますが、著者は政争に敗れて即位しなかったのでは?と説いています)。

 それ以来蘇我氏は唯一の大臣(オオマエツキミ)家として大王家を補佐する立場になったと。ちなみに推古天皇の時代は稲目の息子、馬子と厩戸皇子との三頭政治だったと説いています。

 乙巳の変で滅亡したのは本宗家であり、蘇我氏そのものはその後も政界で重きを成しますが、壬申の乱で近江朝廷側の高官であったこと、また蘇我氏出身の妻を持ち、彼女から生まれた娘を天皇家に嫁して、かつての蘇我氏天皇家の『ミウチ』立場を獲得した藤原不比等に敗れたような形で、律令制度の中で次第に後退し中級、下級貴族への没落していきます。

 ところが割と平安時代から室町時代まで、この蘇我氏系の人々は歴史上に(物凄い脇役だけど)記録が残っており、もしかしたら他氏族を先祖に持つと称している武家の中にも、蘇我氏の血が流れているかもしれないようです。

 しぶといですね。

 

  もうちょっとで読み終わる本です。いわゆる源平合戦と言われる『治承・寿永の乱』の負け組源氏ですが、興味深かったのは、この二人、乱の直接原因である以仁王と繋がっていまして、そして以仁王の乱なのですが、当時王家の中で一大財産を持っていた鳥羽法皇の愛娘、八条院の親友を妻にした以仁王は、本人は皇位継承から外れていたのですが(一応後白河院の息子)、未婚の八条院から「この子に財産残す」と娘が遺産継承候補者に指定されており、政治的には不遇でも生活的には満足していたようです。

 ところが当時の安徳天皇は幼く、後見である平氏は新興勢力で、しかも後白河院と険悪な状態。そこへ財産家でありある意味、鳥羽院の後継者である八条院の『支援』を受けている以仁王は脅威と映ったらしく、この以仁王を政治的に排除しようとした平氏側の動きがそもそもの発端。それを察知した八条院に仕える源頼政が警告・・・というか、大人しく捕まれば、被害は少ないよ、というような主旨で密使を送ったのを以仁王、過剰反応したらしく、つまり、誰一人反乱する気などなかったのに、事態は悪い方へ悪い方へと転落。ついに以仁王源頼政は謀反人として死を迎えたと。

 なのでその後の各地の源氏の蜂起は以仁王の令旨を理由にしていますが、本人は脅し程度にしか考えておらず、また各地の源氏も、特に頼朝は地元の利害で挙兵して、本来なら私闘で処理されそうな事を反逆ととらえられる国衙占拠までやっちゃったので、後付けの理由で以仁王の令旨を利用したようです。都では頼朝の名前すら忘れ去られていたそうな。

 面白いですね。