pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

新元号

 ツイッターには「ぱっと見て、何のことだか解らん」みたいな事を書いたのですが、よくよく考えてみれば『令和』って言葉、『うるわしい調和』とも意訳できるかなぁって思ったら、結構いい言葉ではないか、と思ったのです。今までの元号って何か壮大な感じがあって、逆に「なんだかなー」という印象だったのです。つまり・・・そんなに身近に感じられなかったし、歳月の計算が面倒だし、文化の一つで残すならいいんぢゃね?ぐらいでした。ま、今でも使いたい人が使えばいいけど、強制しないでおくれ、という気持ちでいるのですが(事務関係が面倒だから)、文化としては元号は残してもいいんぢゃないかなーっと。

 それもあり、読んだのはこれでしたが、考えた事は天皇という『王権』に関してでした。

 

ヴァイキング時代―諸文明の起源〈9〉 (学術選書)

ヴァイキング時代―諸文明の起源〈9〉 (学術選書)

 

  ほぼ考古学的な実績を元に書かれています。んで、スカンジナビアの文化圏が通商や植民(どうもイメージよりも海賊行為というのはやっていなかったみたいです)の結果、西ヨーロッパやイスラム圏の文化、経済に触れて変質していったと。

 王も最初は共同体に利益を生み出すリーダーとして存在し、失敗すれば容赦なく引きずり降ろされたし、世襲なんてもっての外、という感覚だったのが、キリスト教の導入によって、それも変質していった、と。

 そのくだりを読んだ時、天皇という『王権』って一つの血統の世襲というか継続としては長いけれども、『王権』としては随分頼りないものなのでは?と思ったりしました。

 天皇そのものに権威と権力が備わっていた時代は平安時代中期ぐらいで終わり、藤原良房が摂政に就任したあたりから、有力者に支持されなければ皇位が覚束ない存在になってしまいました。摂関が職能になり天皇とのミウチ性とは関係なくなってからは、天皇自身ではなく天皇に父権を持つ、いわゆる『治天の君』という天皇家家長が実権者となってしまいます。そして院政が形骸化して武家が主権者となり、戦国期に朝廷の主催者として天皇が再び浮かび上がりますが、これは資金不足で譲位、即位が行えなかった為であり、当時でも変則的な状況ととらえられていました。

 結局、明治憲法によって天皇主権が成文化されるまで、権威はあれど実権がない『王権』が天皇という存在で・・・そっか象徴天皇が受け入れられたのは、そもそも明治維新前まで天皇は象徴的な、権威のみの存在だったからなんだーっと合点しました。ま、今の話なんだけど。

 天皇の存在を『伝統』と位置付ける人は多いけど、実は天皇という存在自体が時代によって変遷し、環境に適応しているが為に、世界最長王家になったのだという事を、理解しているのかなぁ、と思ったりしたり。

 あ、ヴァイキングの話はほぼありませんでしたね。ありゃりゃ。