pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

普遍的なもの

 ようやく読み終えました。

 

ボスニア内戦 [国際社会と現代史] (国際社会と現代史)

ボスニア内戦 [国際社会と現代史] (国際社会と現代史)

 

  あ、十年ちょっと前の発刊だったのかー。

 ここんところ興味を持ったユーゴスラヴィア崩壊とその後の展開が知りたくて借りました。前回読んだ本はリアルタイム、当事者目線のところが多かったのですが、今回は一歩引いてなるべく客観的な詳述になっています。んで、『ボスニア内戦』ですが、民族主義者による苛烈な抗争、虐殺行為というイメージだったのですが、そもそもボスニア内の主要三民族は、言葉はほぼ同じ(クロアチア人がラテン文字セルビア人がキリル文字を表記文字に使用しているぐらいの違い)、習俗もほぼ同じ(家夫長が強く、一族単位でまとまって行動する)、大きく違うのは宗教ぐらいですか(ボスニア人はイスラムクロアチア人はカトリックセルビア人はセルビア正教)。

 しかし相互に対する不信、不公平感というものはユーゴスラヴィア時代から根強くあり、間違いの始まりは各民族の比率によって公的な役職や権力を分配してしまった事ではないかと。一見合理的ですが、それぞれの民族出自のみの選別になり、能力だけを問題にしたフリーな採用であるならば、ここまで他の民族を疑う事はなかったかも知れません。

 そして虐殺の過程も、第二次大戦中の互いの虐殺行為が記憶としてあり、公的機関が民族主義者によって牛耳られ、自らが属する民族が主導権を握れず、二級市民の扱いを受け始めたところで、武装しなければ、やられる前にやらなければ、という恐怖により武装を開始する。それに乗じるように組織的犯罪者が恐喝、強盗などによる資金調達、闇市場を通じての武器調達などにより、強力な『民兵』となり、あとはやりたい放題をしていく、と。それを一般的な人々は恐怖故に見て見ぬふりをしている。

 公的機関への不信が、むき出しの暴力が蔓延る状況を作り出し、まさしく『世紀末』的な状況。

 そして調停を行うべき諸外国や国際機関は、本質ではなく表層的なマスコミ報道による情報から判断している為、現地の人々は更に不公平感を抱き、国際機関による調停も信じなくなっていくという悪循環。

 ナチス・ドイツ以来のジェノサイドという表現よりも、冷戦構造が失われ、それまでになっていた秩序が崩壊し、新たな秩序を模索する前に矛盾が噴出したという点では、普遍的であり、グローバルな状況なのかもしれません。

 その後の十年でユーゴスラヴィアは完全に解体されましたが、ボスニア・ヘルツェゴビナはどうなったのか?ボスニアクロアチア人の連合体とセルビア人共和国に分かれた連邦を形成し、それぞれが独自の軍事、警察をもっていたようですが、軍事部門は統合されたそうで・・・ええ!?なにがあったのだろう? 

 また気を付けて研究成果を調べていかないと、いけませんね。