pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

『沈黙』

 以前、マーティン・スコセッシ監督作品の『沈黙』という映画について書いたのですが、その原作を読んでみました。

 

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

  例によって図書館から借りたので、読んだのは全集版です。

 映画に比べると情報量が格段にあがりますが、映画の脚本がそれほど変更されておらず(だいたい映画化されると原作レ〇プになる確率は非常に高いのです)、ほぼ同内容。言わんとしている結末もほぼ同じでした。これはマーティン・スコセッシ監督自身が三十年近い歳月を映画化する為に費やしている成果でもあります。スポンサーの要望とか入れて肝の部分が潰されるなんて、よくある話ですし。

 あ、さて原作小説は斜め読みぐらいの感じで読んだのですが、キリスト者である遠藤周作さんがローマ・カトリック教会へ感じる違和感が、自分が感じていると似ているな、と思いました。たぶんこれは、白黒はっきり、善悪二元論にしたがる中東からヨーロッパの人々の考え方と、曖昧な定義を受け入れてしまう日本人の考え方の差である、とも思えます。

 しかし遠藤さんが活躍された時代から既に三十年以上が経過しており、最近のキリスト教会の考え方がどのようになっているのか、知らないのですが(特に知りたいとも思っていないので)、多様性を許容する考え方が増えてきているようにも感じます。同時に排他的な線引きを行う考え方も。これは、どちらがどうなのか、一概には言えません。どちらにもメリット、デメリットが存在します。多様性の許容は即ち混沌性を含みます。排他的な線引きは即ち秩序を指向します。ちょうどよい按配というものが存在するなら、それにこした事はないのですが、だいたいどちらかに寄りすぎて、人々は苦しむ事になります。

 遠藤さんは『日本人的な』キリスト者のあり方を見いだした、或いは提示したとも言います。そしてそれは案の定カトリック教会からは批判されています。ま、犠牲を称える考え方よりも、皆で苦しくとも生きていく道を選ぶ方が、良いと思うのですが、それは絶えず災害に見舞われる日本人的な刹那主義なんですかね?どうなんでしょう?