pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

流し読みですよ、流し読み

 流し素麺どころか、素麺自体、今年はまだ食べていない気がします。素麺食べたい(ハイハイ

 そんな小粋な時事ネタ(ではない)を書いたところで読み終えた物。

 

藤原道長の日常生活 (講談社現代新書)

藤原道長の日常生活 (講談社現代新書)

 

  平安時代摂関政治の頂点。「この世をば 我が世と思ふ 望月の・・・」の句で有名な人ですね。下の句は朧気にしか憶えていなかったからイイデス。大した歌ぢゃないしネ(本人は宴の勢いで歌ったらしく、日記にも残していない。他の人の日記には残っていた。おおざっぱに言えば、望みは全て叶った。余は満足ぢゃ。みたいな意味)

 しかし藤原道長の政権は望まれたものでも、満を持したものでもありませんでした。ご本人は父親で晩年に摂政となり政権首班となった藤原兼家の末子として生まれ、父親が政局で苦労した時期を知らず、同母兄の兄たちが次々の病没していき(特に次兄は流行病で亡くなっており、彼だけでなく政権首脳が大半亡くなった)、甥藤原伊周との政権争いでは国母で姉の詮子が「政治首班は兄弟順で」と一条天皇に言ってくれなかったら、一条天皇の、伊周妹の定子への愛情を考えると危なかった、とも言います。

 また若いけど病弱であった為、六十を超える寿命があるとは思われず、短期政権で終わる可能性もありました。

 出世に苦労していない割に、結構気配り屋さんであり、感情の発露は素直で、感激屋さんであり、良く感涙している。儀礼に煩いと思えば、触穢なんかの感覚はケースバイケースでこなしたりしています。

 総じて強運と、それなりの知識と責任感と、他人への配慮が彼を摂関家の祖たらしめたというべきでしょうか。しかしなんか象徴的だなぁ、と思うのは、多くの受領貴族から貢献してもらい(また気前よく人にあげていたし、誰に何をあげたかも憶えていた)、その巨万の富で屋敷なり寺院なり結構建てているのですが、道長縁のものとして現在まで残っている、と言えば、彼の息子頼通が寺院の体裁に整えた宇治の平等院ぐらいであり、他はほとんど廃絶しているのですよね。

 災害や戦火に遭うのは当たり前で、それを復興させる力というか人というか、そういうものがないと後世まで残らないんだなぁ、と思ったりしたり。

 自筆の日記が残っているから、その人物像に迫れる、希有の歴史上の人物って事ですかね。本人は覚え書きのつもりで、破棄してくれーって子孫に頼んだらしいけど、摂関家の宝物扱いで現代まで残っちゃいました。本人、たぶん赤っ恥で泣いちゃうんぢゃない?にやにや