休み明け二日目にしてコレかいって感じですネ。はい。だいたいTRPGか食うか寝るか、『水曜どうでしよう』なお盆休みで、例外は『アイアンマン』って感じでしたからね。今日発売のマンガとか文庫小説とかあったのですが、バタバタして買いに行きませんでしたし、何気に二十日の締め日だから閑散期だけど請求書起こすのですが、何でか知らんけどメーカーの営業マンが三組おいでになりましてね。だいたいお相手は親父に任せて、背中でブラウザゲーやりながら話の間の手を入れるのが通常なのですが、今回は新商品の説明とか、担当者変更一回目とかで、割と真面目に相手をしましたよ。
割と、ですが(オイオイ
んぢゃTRPGの事でも書きますか(もっと書くべきか?
というても、セッションレポートをやる気などほぼなく(セッションは水物でアリ、その場の参加者以外には「何が面白いねん?」という状況が多々あるのでネ)遊んだシステムについてですかね。ものの見事にサイコロフィクションばかりですが。
サイコロフィクションは冒険企画局の河嶋陶一朗さんが基本ルールシステムをこさえたものでして(たぶん)今までに十三(たぶん)作出ているそうですが、サイコロ二つと筆記用具、そしてルールブックがあればできるゲームです。TRPGに関しては、基本どのシステムもそんなものですが、サイフィクはシステマチックでして、ロールプレイ(演技)をすれば盛り上がるけれども、特にそれをしなくてもゲームは進行するよ、という意味ではボードゲームに近いと評する方もいるようです。
んで、これは自分の偏見なのですが、TRPGを嗜む方って基本、「データ構築スキー」か「オレのキャラ格好いいやりたい」っていう人が多い気がするのです。そして最近気がつきましたが、自分はどちらも基本的に興味が無い。ルールやデータを駆使して強いキャラを作っていくと、他人のキャラにまで「こうあるべき」と言いたくなる傾向がある気がします(個人の感想)。そういうのは押しつけがましいし、他人の遊ぶ意味があるのか?という気もします。もちろん強さを求め合って最適解を掴んで、強敵と戦い勝利を得るのは快感ですが、そのパティーンに慣れてしまったのか、自分自身は勝とうが負けようが、どちらでも構わなくなってしまって(あ
あと格好良いロールプレイをやりたい、というのも、実を言うとあんまり。小説を書いていたせいか、どうしても格好いいキャラばかりの話が面白いと思えないのですよね。ストーリーにはそれぞれのキャラの役割があり、格好いいキャラはもちろんの事、ドジなキャラ、嫌なキャラ、小悪党、されるがままに蹂躙されて保護欲を駆り立てるようなキャラ、一杯あります。自分は格好いい事を言うのが恥ずかしい、というか決めポーズに白ける質で、「格好いいとはこういうことさ」のポルコ・ロッソみたいなひねくれ者であるのです。
それにGMならばPLを、PLならば他のPLやGMを驚かせたいとか思ってしまうので、性格が悪いのです、はい。
その点、ボードゲームチックなサイフィクはいいですよね。PCの目的が存在し、それを達成すれば勝利。でもそれが達成できなかったら、PCが一番輝ける演出なり物語を考えて敗北すればいい。
どうもこの数年、このポジションになってしまったようです。
気がつけばサイフィクのTRPGを選んで遊んでいるし、ルールがアレな昔のシステムにシノビガミチックな秘密を仕込んでGMしたりしています。あまりやり過ぎて最近はPLさんが警戒しているようです。当たり前か。
しかし驚いてもらいたいし、意表をついて欲しいし、物語をつくりたい。なるべく自分が想定したものとは異なる物語をPCたちに演じて欲しい。
そんな人の悪いTRPG生活を送って行ければいいなぁ、とか思ったりしています。
よし、埋まったな。