pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

ねーむーいーのだー

 夕食を終えてPCに座り、何か作業をしようとすると寝オチする。昨夜はそんな感じでしたが、数十分の仮眠に等しく、録画しておりました映画が見れました。『十二人の死にたいこどもたち』って奴。原作小説読んでいるのでオチは知っていますが、そぎ落とされたエピソードが結構あるけど違和感ないよなー、すっきりしているなーっと思いながら見ました。全編若手俳優さんしか出ていないから、ええっと、どうあってでもモラトリアム『死にたい』な娘が見覚えありました。『いだてん』に出てたなぁ。震災で死んでしまうお母さんと、その娘が成長した姿を演じて見えた方。名前は覚えていないけど、役柄が違うから全然違う感じ。役者さんは凄いですね。

 んが、そっちの画像は使わず、あえてこっち。

 

豊臣家臣団の系図 (角川新書)

豊臣家臣団の系図 (角川新書)

 

  「実績」よりも「若さ」って煽っていますが、まぁ係累が少なく人に指図する際の重みが乏しい秀吉としては、自分が実績を積むまでは、軽輩を使う方がやりやすかったのではないかなぁ、と。

 人様から『賤ヶ岳の七本槍』について話して欲しいと前に言われましてね、まったく知らんというか、個々の武将には興味があるし研究成果もありますが(加藤清正とか片桐且元とかはまとまった論文や評伝があります)、集団での評価はないので困りました。そもそも軍記物の時に織田信秀が勝利した『小豆坂の戦い』で活躍した七本槍になぞらえただけで、つまり物語の上での呼称であって、同時代にそう言われていた訳ではないようです。って、どっかで読んだ気がするんだけど、あれれ?(オイオイ

 この時、一番槍と認められたのは九人だけど二人は戦死してしまったから七人になったとか。福島正則加藤清正は秀吉縁者ですが(母方の従兄弟という関係らしい)研究者によって福島正則は父方の縁者で加藤清正は違うとか、何とか親疎に差があったと言われています。よく解りません。まぁ一番出世が早かったのは福島正則であり、後に家康も彼の影響力を最も気にしていたといいます。

 二人は最終的に国持ち大名まで出世しますが(福島正則は本人が、加藤清正は息子と孫がやらかして改易ですが)一万石以上の領地をもらったのは脇坂安治片桐且元加藤嘉明、あ、wikiには糟屋武則も一万石以上の領地をもらったって書いてある。そのうち加藤嘉明福島正則加藤清正と同レベルの領国を持つ大名になり、息子の代で改易・・・そんなとこまで一緒にやらんでもいいのに,仲良しか?

 糟屋は関ヶ原の戦いで西軍に属して没落。片桐は豊臣秀頼家老となるも煙たがられて追い出され、直系は断絶するけど弟の家系は江戸時代を息抜き、脇坂は血筋は断絶するも徳川譜代系の武将が名字を継ぎ、譜代大名扱いになって幕閣に列したものもいたとか何とか。

 一番身代が大きくなれなかったのは平野長泰。彼の家系は旗本どまりでした。彼だけ武功だけで、吏僚的な能力が乏しかったのでしょうか?つまり槍働きでの出世は限界がアルって事ですかね。ま、一万石で五百人前後の軍役をこなさなきゃならないから、指揮能力が、つまりスタッフ運営能力が問われる訳ですからね。

 それだけではない本ですけど、まぁ注意していた項目だけ書いてみました、って感じ?