pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

二十二日にまとめて購入するべか?

 今日、明日、明後日と本屋で購入する予定の新刊があるのですが、今日は二十日締め請求書を起こす事をメインにしていたので本屋に寄りませんでした。買いに行くのはだいたいお昼時で、しかし最近の営業時間短縮により、本屋さんは午前十一時からの営業。到着した新刊を荷開きし、棚に並べる事は一時間程度はみないと(それでも並ばないか、あの物量は)いけないでしょう・・・二十二日も買いたい新刊あったよな?月曜日にするか?(あ

 まぁ土曜日に買いにいって、一人でいきつけのダイニングバーで葡萄酒を飲み干す、なんて事をやりたいとは思っていますが、今週こそ『かつ雅』でテイクアウトした、カツで一本飲み干したいとか思っているのです、はい。だからね、一人でダイニングバーに行くのは、愛知県図書館が再開してから・・・って6月か、それは。

 なので再読した本の事しか書けません。最近は寝入りばなが暑いので、布団なしで床につき、三時だか四時だか夜半(とは言わない)に涼しくなると一度起きて布団をかぶって寝直すみたいな事をしているせいか、眠りが浅く、だるいので十時過ぎると床に入る準備しちゃうのですよ。だから『時効警察』どころか『麒麟がくる』の先週日曜日録画分も見ていない・・・今夜は見たいなぁ。だるくならなければ。

 あ、再読した本のことね。

 

  二年前の本ですね。領主が年貢で取り立てた米を売って、江戸幕府発行の現金を入手していた時代。西国と北陸の米は大坂で取引され、今と違って米所は西国だったので必然的に大坂の米市場が最大の取引場になり、そこで現物を商う不便から米切手という手形を商うようになり、しかもそれさえも帳尻さえあっていれば問題ないと、帳面上での売り買いで市場が賑わっていたというので、経済史的には「先物市場の走り」とか言われているようです。もっとも古代から先物取引は存在していましたし、十九世紀になればアメリカ、シカゴでも行われていたようですから、「世界最初の先物市場」というのはアレらしいです。

 前も書いたかも知れませんが、面白いのは金本位ならぬ米本位の経済であるということ。米と引き替える事のできる米切手という手形が取引の主役だからですね。しかし限界まで増産が試みられ、人口が頭打ちになると米価は低水準になります。米余りになるんだから仕方ないネ。しかし大名を初めとする領主たちの主要収入源は米しかなく(商業作物の割合は、そこまで大きくないようです。そっちの研究が進んだら解るのだろうけど、今はこう判断しておくしか)、一つ覚えで米の増産、農民からの収奪に走りますが、まぁ米余りに拍車がかかるだけで米価は下落する悪循環ですわな。

 一応江戸幕府も米価コントロールを試みますが、十九世紀になるまでは介入は混乱を生むだけみたいな感じ。十九世紀に入り、ようやく洗練された米価コントロールを身につけたみたいです。ただ米価の上昇はやはり凶作による米不足が頼みの綱みたいなところがあったようですね。

 幕府と米市場の米取引を担う商人たちの駆け引きが、市場原理への介入と、それへの抵抗という現代にも通じるものがあって面白いです。

 あと、この当時も指標になる産地米があり、ブランド化していました。これになると取引される率があがり、高値で取引されるようになる、大名の収入が増える、という事なので大名サイドは農民に対し、出来、見栄えを良いようにしろと厳命。農民は迷惑。一様報奨金は出していたようですが、明治に入った途端、ブランド米の品質はがた落ち。ブランド化は農民のモチベーションではなかった事が判明して、それが面白かったデス。権力によるブランド化は儚いですな。