pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

明日はたぶん

 今日刺繍屋さんが商品を持ってきてくれると信じていたのですが、休み明けだから何もできていなかったので、昼から暇になってしまい、一件商品説明で自転車走らせて行ったぐらいですから、日記を書いてしまえ、と。

 四連休ですが、特筆すべき事は最終日の日曜日に三か月以上ぶりにTRPGを遊ぶ事ができた、ぐらいで、金曜日に父親と二人だけなのに四人分以上(ひき肉の分量が多すぎた)のキーマ・カレーをこさえて、その日はショートパスタで食べたけど、土曜日はご飯で食べたよ、と。ショートパスタではあんまり消費できないのね、カレーってば。ご飯だと、何故かご飯を食べなくてもカレーが進む。何故だ?もちろん麦酒もスカスカ飲みましたが。

 あとは名探偵ポワロのドラマを初期のものから順番に再度見始めたという事ですかね。初期は平均的なドラマというか、コメディ要素を備えていて、ラストにちゃんとオチをつけたり、ヘイスティングスジャップ警部、もしくはポワロの失敗談で終わるというものが多く、微笑ましいです。

 んで日記を自宅で書くつもりだったので置いてきてしまいましたが、コレを読み終えました。

 

二条良基 (人物叢書)

二条良基 (人物叢書)

 

  知っていますか?自分は、たぶん名前を目にした事があるぐらいで、ほとんど失念していました。評伝が立てられるぐらいなのだから何某かの事績があるのだろうと、そういう期待感のみですね。

 読んで知ったのですが摂関につくべき家柄『五摂家』にもあたりまえながら優劣というものがあり、嫡系近衛家源頼朝のご指名で摂政になれた堅物『九条兼実』が両輪の軸みたいで、近衛家の分家が鷹司家九条家から分かれたのが一条家二条家なのですが、このうちの二条家は始祖が九条家当主の父親と折り合いが悪く、ろくに財産分与ももらえなかったので、母方が西園寺家という鎌倉幕府と提携して権勢を振るった家なので、どうもその後援で摂関の職を得たみたいです。

 その後も経済的にはずいぶん苦労しますが、この二条良基の父親あたりから文芸に秀で始めて(母方が和歌の大家)、そして南北朝の騒乱の最中、摂関家の年長者が相次いで亡くなり、結果として朝廷を主導する立場となります。ところが二条家九条家から義絶されている立場で、先祖から伝わる儀礼次第の蓄積というものがない。彼はずいぶん研究して自ら古い記録を探し出し、摂関華やかなりしころの儀礼を復活させる形で主導しました。まぁ今風ではないですので、反発は激しかったようです。

 また儀礼復活を成し遂げた後醍醐天皇を敬愛しつつも、大勢が室町幕府優勢に傾くと、それを支える北朝支持に。晩年は経済的に苦しい皇室、公家の為に足利義満を公家体制の指導者に抱え込み、その指導力で公家の収入を確保しようとしました。

 それが足利義満からのニーズにもあい、武家が公家を指導する室町体制が確立する訳で、彼がいなければ足利義満の立場もまた違うものになったかもしれないと。

 あとは文学的な功績で連歌の確立に主導権を発揮し、以後、戦国時代に至るまで連歌は一大興隆期を迎えた、というぐらいかな?

 はい。事務仕事がやってきたので、今回はここまで。