昨日は配達やら営業やらで午後走り回っていたけど、今日は静かすぎるですよ。だから日記を書く時間がある訳ですよ。二十分ぐらいの事だから許して(許されなくても書くけど
帯にありましたね。渡る世間は〇〇ばかり。あ、鬼なら書きますよ。ではなくてねー、人間的に卑しいというか品位のない訓練生が一杯で、ああ、こいつら全〇しちゃえばいいのに、とか思ってしまうのがアレですが。
良くね『弱肉強食』とか言いますけど、この漫画にもあるけれど強いのは適応能力の高さであって、個体能力の高さは種族の強さとは関係ないのですな。数的繁茂も能力的なプールにしても、戦いは数だよアニキという事が一面の真実を突いているように(アニキは真実には含まれない)、最低能力の高さと数の担保が人間社会の強さでもあるんですよねー(共同体の強さという意味)
まぁ何が言いたいかというと、青少年は単体の強さを誇る傾向があるけれども、そうぢゃないんだよーって話です。助け合いが大切というのは倫理的な話ではなくて、生存能力を高める意味で大切なんだよーっと、そういう事ですね。
漫画の内容にはほぼ触れてないや。まぁ主人公が単体のオレツェをキメてるく〇どもとどう対決するかって話でした。次巻は冬です。楽しみです。
そっか、電子版には特典があるんだー。そういう時代になったよねー。あたしゃ紙媒体狂信者なので関係ないけど。
志村さんの、こういう「はっきりしろよ!!」みたいなもやもやした恋愛模様が好きなんですよ。好きなのか、そうぢゃないかのか、別れるのかそうでないのか、白黒では、はっきりさせられないこんな気持ち。本人だと苦しいだけなのですが(天国と地獄を行ったり来たりする状況)、恋愛ってこんなもんだよねー。こういう事の連続だよねー、と確認してしまうです。
だから買うのをやめられないのよねー。
結構愛知県図書館に並んでいてSF作品書いてみえるのは知っていたので、一度読んでみようと借りました。ええっと、なんやろね。危機的な状況なのに読んでいて弛緩していくのは何故だろう?人類滅亡回避の話なのですが、何でこう絶望感を感じないのか分らなかったのですが、主人公の兄一家が名古屋に住んでいる設定なのですが、二十数年前から潮汐力のせいで海面が上昇するといわれているにも関わらず熱田区に住んでいるって書いてあって、頭にハテナマークが止まらなかったです。名古屋在住だとね、熱田から南は江戸時代からの埋め立て地であり、低地帯である事は自明の事であり、作中時間で結婚し家庭を持つ電気自動車会社勤務の人間が、熱田区に住むことに違和感・・・安いからですか?
名古屋市内なら守山、名東、天白、緑といった丘陵地を選択するだろうし、そうでなくても旧街道沿いの、昔からの集落で、つまり津波にも経験則的に強いと認識されている場所に住むべきで、その後の避難先に春日井って・・・あーた、あっちも丘陵地ってずいぶん岐阜よりの方になってしまって、避難時間考えると現実的ではないのですが・・・という住んでいる人間の実感からの突っ込みが、物語のクライマックスで沸いてしまったのもあるのかも知れません。
たぶん著者は「いいひと」なので、過酷な描写が苦手なのかも知れません。そうなのかなぁ?