pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

いつもより随分早いのですが

 昨日ツイッターで回ってきた2025年大阪万博のロゴがあまりにもクトゥルフクリーチャーに似すぎていて、弄られまくっていて「やっちまったなぁ」とか思っていたのですが、選考委員のメンツを見て、あ、これは明らかに解っていてやっている人がいる、と感じたのでポジティヴにとらえようと。このロゴを非難する人は色々な事を暴露する事になるから、たぶんいないんぢゃないかなぁ。良識ぶっている人は知らん世界だろうし。知らんけど(オイ

 たぶんTRPGやらで2025年大阪万博は旧支配者が跋扈するパワースポットとして取り上げられるのでしょうね。ある意味注目を集めて成功だよね!!

 さて昨日読み終えたもの。

 

星系出雲の兵站-遠征-5 (ハヤカワ文庫JA)

星系出雲の兵站-遠征-5 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:林 譲治
  • 発売日: 2020/08/20
  • メディア: 文庫
 

  発売前から関係者が「こういう展開かー」とツイッターで流していた意味が解りました。こういう展開の『未知との遭遇』って他にあったでしょうか?寡聞にして知らず。でも物語としてはあるよね、被害者だと思っていたら実は・・・という。

 この作品を読んでいて感じたのは、戦争というものは「殺し合い」と「話し合い」で成り立っており、「殺し合い」のみで戦争を遂行するとどちらかが全滅するまでやめない、二十世紀の総力戦に陥るのだな、でした。

 政体としての民主主義の利点は、平和裏に政権交代が実施されるところだと思っているのですが、戦争する場合、民意が復讐一色に染まり拳の収めどころを見失ってしまうのではないかと思います。為政者も負ければ政治責任を問われるので敗北を認めたがらない傾向があるのではないかと。あまりにも膨大な犠牲の末、敗北となると命を支払っての責任を要求される(そんな事は法制化されていないけれども暴走する民意は要求する)。敗北を見極め、もっとも最小の犠牲で敗北を受け入れる事は、民主主義では難しいのかも、とか思ったりします。

 何時だったかガンダムの監督の富野さんが対談で「ガンダムで戦争を語る事を失敗した」とかなんとかおっしゃっていたような気がするけど、まぁファーストで納める事ができなかった時点で自分なんかは「ですよね」と思いましたね。政治決着をガンダムはなしえていない。地球対宇宙に住む人々という構造対立を解消する政治決着がアイディアとして提示されていないので、同じ問題の戦いをズルズル続けるしかない。どこまでも情念での対立が続き、復讐の連鎖を断ち切らなければ平和はこないといいながら、その復讐を乗り越える事に理性的な妥協を提案していないのですよ、物語の中で。

 もちろん映像作品で政治決着を物語としてつけるのは、なかなか難しい事だと思います。感情は目に見えて解り易い表現ですし、それを超越する理性的な決着は時に冷酷に見えて受け入れがたい。映像というか創作物は感情に訴え、同調させる事で受け取り手の関心を引き物語に引き込む事がベーシックだと思うので、その最終局面で理性による決着は梯子を外されたように思うしかも知れない。なので、創造物って戦争を非難する事はできても戦争に決着をつける事なんてできないのではないか?と考えたりします。

 ずっと理性でおす創作作品ってあるかしら?論文とかではなくて。

 『星系出雲の兵站』も決着はどちらかといえば感情的なものです。でもその予想外の展開が楽しかったです。この群像劇は読んで欲しいなぁ。