pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み終えたもの、あります。

 昨夜は眠たかったので早めに寝ました。たぶん今夜は飲酒しながら『父親たちの星条旗』あたりを見るのではないかな?と他人事のように考えたりしますが。

 でも読み終わったものは、まったく関係ないです。

 

清和天皇 (人物叢書)

清和天皇 (人物叢書)

 

  『清和源氏』で有名な人です。子孫が有名になったけど、ご本人はどーなん?という好奇心で読みましたが、もっとも有名なのは『応天門の変』がこの天皇治世下で起こった事で、とはいえ、この事件の問題解決に彼が主導権を握った形跡はないです。つまり、影がめっちや薄い。

 父親の文徳天皇が病弱で若くして亡くなった為に、兄がいるにも関わらず年少で即位します。根拠は血統をさかのぼると父方母方双方の曽祖父が嵯峨天皇という圧倒的な血筋の良さであり、ま、それ以外にはない、と。ただ当時政権首班というべき藤原良房が外祖父なので、その補佐、後ろ盾の上で政権運営が期待されたという事ですかね。

 ちなみに幼少での即位について、古代なら違和感がないと思われるのですが、実は未成年での即位は清和天皇が最初であり、基本的に元服を経なければ天皇に即位する事がなかったのが、それまでの原則でした。すべては文徳天皇が若くして亡くなった事が原因なのですが、これが先例となって幼帝即位は珍しくなくなります・・・が、清和天皇の息子、陽成天皇の未成年即位以後、五十年あまり絶える事になります。やはり朝廷の長たる天皇が未成年という事に抵抗感が強かったのでしょう。

 この天皇以後、『君臨せずとも統治せず』的な天皇像が支配的になっていき、ある意味政治的責任を問われない天皇の姿が定まったとも言えます。しかしそれは企図してそうなったのではなく、外祖父の庇護の元で政治を行った、内相的な(つまり陰キャラ)の清和天皇の性格によるところが大きいようです。それほど体も丈夫ではなく若くして譲位した後、出家して二年余りで亡くなっていますし。

 歴史上、地味で後から振り返れば分水嶺だったなーっと(人臣最初の摂政とか、儀礼に出御しない天皇とか)、そのぐらいしか印象のない人ですが、清和源氏を名乗る人々が武士として活躍し、武家政権の首長となった事から、ご本人の業績よりも名前の方が知れ渡っているという。武芸者としてはぺっぽこだった孫の源経基はともかく、その子源満仲は政治感覚が鋭く、藤原摂関家の財政、武力を司る家となり、その興隆に貢献した事が、のちの族的繁栄につながったと、そんな感じですかね?