pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

一転して暇

 メーカーに発注かけたら今期新商品の次回上がり予定が来年三月三十一日との返答があって、今期に間に合ってないぢゃん!!と爆笑したのが事件らしい事です。これは生産数が販売数に間に合っていないというメーカーとしては嬉しい状況ですが、販売者としては「だからあそこの新商品は要注意」という事になるのですよねー。

 まぁ自分がエンドユーザーに販売する場合は、絶対に候補を複数にしてもらい、在庫を確認しないと話を進めませんが。

 はい、こういう出だしという事はですね、ネタがないって事です。そろそろ読み終わる『北条氏康の子供たち』という論文集は、読み始めて、あっ、読んだ事ある、と思い出した本なので、アレです。読み始めた菅原道真の評伝は歴史学者ではなく、古文学者の方が書いているので、違う切り口を期待してます。というか菅原家の歴史ってちゃんと読んだ事がなく、葬送を司る土師氏が薄礼葬儀が法令化、流行した事を受けて、これではいかんと儒学とか中国古典とか歴史学を学び学業を家業として改姓したものだったのが菅原氏で、祖父、父と文章博士となり最終的には従三位参議にまで出世する、中流貴族でも上層にこぎつけた存在であったと知りました。特に祖父は好学の君主であった嵯峨天皇と親しく、それが出世、律令の編纂に参加して成果をあげる結果となったようです。

 父親は文徳天皇の教師でしたが、この天皇が夭折しても藤原良房の信頼があった為に、出世できたという。藤原良房太政大臣として病弱な文徳、幼少の清和天皇を支えた朝廷主催者でしたから。『応天の門』という漫画はフィクションですけれども(フィクションでしか描けませんが)、あの作品に描かれてといる菅原家よりも、もっと藤原良房家と親しいのではないかな、という印象です。

 まだ序章も読み終わっていないのにここまで書けてもーた。それだけ自分にとって興味深かったという事ですかね?

 平安初期は後世の我々が思ったよりも官僚貴族たちは勉学に励み、『対策』という試験に受かる事が登竜門とされていたようです。ただ嵯峨天皇期は漢詩が重要視されていたのが、道真父の頃になると実務能力こそ問題にされるけれども詩歌の作成能力までは官僚としては問題視されない、むしろ軽視される傾向が出てきたようです。どうも古典で歴史でも、この時期の貴族は和歌を詠んでいるというイメージがあるのですが、漢文が公式文書であり、漢詩こそが官僚貴族の嗜みとされていたようです。

 読み終わるのはたぶんもうちょっとかかるけど、楽しみだなぁ。