pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

一本以上になると翌日が役立たずになる

 土曜日に宅飲みで正味五時間ほど葡萄酒やら日本酒やらを飲み続けたので、日曜日は頭痛と睡魔に襲われ続けていました。やった事って、布団干しと掃除の真似事と、読書と動画流し見・・・って、いつもと何が違うのか?そうか。何もない休日は二日酔いの日と変わらない夢心地の世界やったんだー・・・とか思ったりしたり。

 んで、まぁ読み終わったものをあげておきましょうか。

 

室町の覇者 足利義満 (ちくま新書)

室町の覇者 足利義満 (ちくま新書)

 

  武力によって覇権を打ち立てる事に失敗した、とも言える足利氏が、足利義満の時代からどうようにして幕府と朝廷を包括的に統べる『室町殿』となったのか。そしてそれがいかにして破綻しまったのかまで書いてます。

 そもそもの問題が創設者とされている足利尊氏には息子義詮が後継ぎとして成長するまで政権を主催する気力に乏しく、弟足利直義鎌倉幕府の再興を目指して自ら執権たろうとしたという、そんな立場と意欲が乖離していた事から始まるみたいですね。ややこしいのは一旦は武力で敗北させた南朝に対して、兄弟で争う事になった観応の擾乱では先を争って南朝に降伏し、実態はないけど権威が南朝に戻った、みたいな感じになっちゃった事ですかね。

 直義派は軍事的に敗北しますが、かなりの武将が生き残り(尊氏は討滅よりも降伏させていったので)、尊氏死後の幕府主催者である義詮には憚るところがない、というか不都合になったら幕府の不満者は南朝に下るという風潮が出来上がってしまって、実態としては幕府内の内紛なのに南北朝の騒乱が続くという変な状況に。

 軍事的に反対者を屈服できないと自覚した義詮は権威を持ってそれを克服しようとしますが志半ばで死去。残された幼い義満は成長して行く過程で父と同じ手法を取ります。ただしより大胆に。

 当時の朝廷は戦乱により領地からの年貢が得られず、収入を確保するのは現地志位はする武士を統括している幕府頼みであり、つまり幕府の長は自分の権威に服さない公家を餓死させる事も可能だったわけです。年貢を公家に収めるな、と命令するなんて簡単な事だし受けた方も嬉々として従いますよね。

 義満は仄めかしや忖度を促して、外見上はマイルドな形で朝廷内で覇権を獲得し、天皇としての義務を果たさない天皇を除外するまでになります。まぁ当時の皇位を伝承していた後光厳院流はもともと天皇位を継ぐ家ではなかったので、精神的に後ろめたさ、というか自棄になっているところが代々の天皇にあるよなーっと思うのですよ。

 そんな感じで足利義満がいかにして『絶対者』という雰囲気をつくっていったか、という事を述べている本でして、その着眼点や発想は面白いし、今までなかったよなー、とか思うのですが、その文章からあふれ出る、オレが、オレが、オレが!!感が強くて、読みにくくて疲れるのですよ。オレが初めて、みたいなものも散見するし。なんだろうね、この自意識過剰は。何か鬱屈したものがあるのかも知れませんね、著者に。

 悪いけど、こういう文章を書かれると、敬遠してしまいますわ。はい。着眼点は面白いのになぁ・・・