pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

見たのは『麒麟』のみ

 先週日曜日までの、つまり放映分は見ました。

 やっぱり比叡山の虐殺を非道な事件として信長の行為を非難する論調になるようですね。しかし象徴的なのは、もっと手ひどく非難するかと思っていた駒が「戦にいいも悪いもない」と言っていた事ですかね。

 自分の理解だと(つまり最近の説だと)宗教組織として信長は比叡山を殲滅したのではなく、敵対する政治組織として殲滅しており、また命令の主体は興福寺のお偉いさんでもあった義昭ではないか?という説もあるよーな・・・つまり、ドラマとしては折衷を取ったのかな?でも仏法がどうのとか言わせているな。やはり従来説よりか。

 大河ドラマがファンタジーという事を心得た上でも、前回のドラマの、つまり摂津晴門による明智暗殺未遂事件の展開は、ええっと、ドラマが過ぎるよなぁ、と。足利義昭人間性にすがった暗殺回避だもんなぁ。人間ドラマとしての表現なのだろうけれどもね。光秀よりも遥かに文化人要素の強い細川藤孝が武闘派めいて語られていて、息子の忠興と間違えてません?とかね。

 あと、本能寺の変の伏線が張られ始めましたね。そして自分はどこまで「麒麟が来る」を見続ける気力が持つかなぁ、とか。気力と言っている時点でアレなんですが、気になるのが、本能寺の変で親友細川藤孝と、いい感じの仲、筒井順慶が何故味方しなかったか、それだけなんですよね。それ以外は割とどーでもよかったりするのです。なんか脚本がどうも肌に合わない感じがしてきてねー・・・

 読み終わった本はまだないです。しかし読んでいる途中の本は三冊でして、短編ミステリー集が一番読み終わるのが早そうですが、途中の感想は、ずっっっと忌避してきた『平泉澄』の評伝かな。日本中世の研究家ですが、国家主義者、国粋主義者として戦前の史学会や軍国日本の精神的支柱みたいなイメージがあり、軍国主義日本が嫌いな自分としてはあんまり触りたくない人なのですけれども、ちゃんと知らずに嫌うのもいかがなものかと思い、とりあえず評伝を読んで嫌いになろうと思った次第。

 研究姿勢としては考証主義で、ファナスティックなところはないという評価を目にした事があるのですが、この人よりも前の研究者である田中義成とか渡辺世佑といった方たちの論文は現在でも引用されているのを見た事があるのに、高名な割に平泉澄の論文が引用されている事例を、寡聞ながらあんまり見た事がないのです。何故かなぁ、と思っていたのですが、どうもこの方、日本中世史と精神史で成果を残し始めた頃にヨーロッパに留学し、その時に危機感を感じて国家主義国粋主義を学生や世間に教化する、どちらかというと思想家の方に自らの活動を軸足にしてしまったようです。

 あと、その研究姿勢も当時にあってさえ保守、いや古い体質で、有名な「豚に歴史がありますか」と発言は「無名の人々に歴史はない」「歴史は著名人の個人的業績さえ追えばいい」という今日から見ると、特に80年代90年代に民俗学の成果から歴史学が深化した事を知っていると(そして自分も物語としての『歴史』から現在の論述への興味に目覚めたのが、大学生当時にジェンダー問題を日本古典から論じてくれ講師の方のおかげかなぁ、と思い返しています)、その姿勢が得るところのない古さ、と感じずにはいられないのです。

 つまりこの人は歴史研究者というよりも国家主義国粋主義的思想家として評価する方が正しいのかな、と。つまり自分が嫌いな理由が解ってきたという・・・まぁ読み終わるまで結論は出ませんがね。