pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

『豚の歴史』

 この人は百姓の歴史をやりたいと言った学生に、そんな事はやめろといい「豚に歴史がありますか」と言ったといいます。

 

 

  皇国史観の代表的人物というだけで毛嫌いしていたと思うのですが、このエピソードに接した時に悟りました。この人は『偉人』と言われる『看板』しか見ていない人なのだと。今となってはその考え方は古すぎるし、十九世紀の物の見方だと思うのです。この人が活動した大正時代でさえ学者からすると違和感のある感じ方であったらしく、そういう意味でもこの人は神皇正統記を聖書とする、後醍醐天皇を主神に据えて北畠父子や楠木正成らを神族とする南朝教の神主であるという方が正しい気がします。

 歴史はそのほとんどが支配者であったり指導者の視点でしか描かれていませんが、その彼らをそういう立場にたらしめたのは、彼らがそう振舞えるだけの財力を租税として供給した民衆の存在が不可欠であり、彼が崇拝した後醍醐天皇が何故権力の座から転げ落ちたのかと言えば、その朝令暮改、側近重視の行政に徴税担当である武士から三行半を突き付けられたから、とも言えます。自分たちの生存、安全を保障してくれない支配者など不要なのです。この人は、その事を理解していない。光り輝く看板しか見ておらず、その看板を支えないものが悪いという思考なんですね。

 民衆を軽視していると思えるのは、特攻兵器に臨みを託していたというエピソードでも裏付けられると思います。飛行機の方は直接かかわっていないようですが、人間魚雷『回天』の開発は間違いなく彼の門下生によるもので、命を賭して敵を倒すという方法を推奨すること自体、人という資源を軽く見ている証拠ではないかと思うのですよ。その技術を取得する為に、一体どれほどの時間が費やされたのか。そういう考え方ができない。

 もともと神主の家庭出身でそういう傾向があったとはいえ、最初は考証学の手法で中世文献を研究、論述する学者であったのですが、精神論者へと傾斜するのはヨーロッパ留学で共産主義への恐怖を感じ取ったから、かもしれません。当時としては秩序破壊の代名詞であった共産主義者に対抗するよりどころは、旧来の秩序への依存しかなかったのかも知れませんが、あまりにも夢想的に見えます。何故かといえば、彼がブレーンを務めた近衛内閣は、盧溝橋事件から始まった陸軍の暴走を制止する事ができず、楽観論で日中戦争を始めてしまい収拾する事を自ら放棄するような事をし、経済的な生命線である英米との関係を悪化させてしまい、ついには政権放棄してしまったのですから、問題解決に寄与した事などあったのかな?と。

 また戦争遂行の精神的な支えを彼が与え続けた事は否定できないでしょうし、最終的な支持は与えなかったとしても、無条件降伏に反対する将校たちがクーデターを起こそうとした事件の精神的な支えも彼であった事は間違いない。軍人の暴走を期せずして増長させたのは確かです。

 天皇を絶対的に支持しながら、為政者としての教育を受けた昭和天皇には胡乱な目で見られ、弟宮たちから支持されるというのも、彼の言説がどういったものであったかを象徴するような気がします。

 これだけの事をしていたら戦犯の末席に列しようなものですが、占領軍が日本軍慰撫に使えると判断したため、おとがめなしの処置になっています。そして著作や講演をこなして、今日的なタレントのような活動をし、九十歳という天寿を全うしています。

そ戦時中に大陸で悲惨な戦闘を経験した司馬遼太郎が、彼の家であり神主を務める福井.勝山の白山神社を訪れる機会があった時、会わなかったといいます。自らの悲惨な体験の元凶に、少なくとも精神的に関わっただろう彼に触れたくなかったのだろうと思うと、自分も司馬遼太郎と同じような気持ちなんだろうなぁ、と感じました。

 彼だけが悪いわけではない。しかしその人生、運命に釈然としないものを感じるのも確かです。

 だから自分は、この人が嫌いなんだ、と納得する事ができました。