pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

大河ドラマはファンタジー作品

 全ての創作物に言える事なんですけれどね。昨日夕方に『麒麟がくる』最終回の最後の十数分をBSP放送枠で見てしまったので、あー、もーいいやーっと録画していた総合枠のものも見ました。

 総括すると『麒麟がくる』は自分が見たかった物語ではなかったな、と。前半は積極的に最新研究成果が採用されていました。例えば平手政秀の自害は信長を諫める為ではなく、外交問題の失敗を受けて責任をとったという説がありまして、それを採用していたのてどすね。しかし信長弟信勝が信長に対抗しようとしたのは母親土田御前の偏愛というのは従来通説ですね。どちらかというと父信秀が決めかねて、熱田の宮の統治権を二人に与えていたのが発端ではないかとも思いますが。あるいは信長には自分が受け継いだ津島利権を、信勝には自分が奪取した熱田の宮利権を与えようとしたのかも知れませんが。

 ドラマ中見ていて思ったのですが、取り上げられている割に明智家家中の扱いが軽い。例えば荒木家に嫁いで離縁した後、明智秀満と再婚した長女のエピソードは簡単だし、斎藤利三稲葉一鉄家中から明智家に移ったいきさつを述べながら、利三親族が嫁いだ長宗我部家との関りは最終回のセリフの中で触れられる程度。藤田伝五は最初から登場しているというのに、いるかいないか判別しがたいほどの存在感の薄さです。

 自分は『真田丸』を気に入ってしまったせいか、真田家家中のように構成員のキャラ立ちが成立する物語を求めていたようで、それに比べると明智家で存在感があるのは妻と次女玉ぐらいなもの。これって通説で有名な人だけに活躍の場を与えたのでは?と勘繰りたくなります。光秀の息子たちについてはまったく触れられていません。

 創作物であるからには製作側の思惑で採用される設定が存在するのですが、自分はどうもそれに乗り切れなかったようです。もっと明智家中に焦点を当てて、その中での悲喜こもごもを描いて欲しかった。そう思うと竹中直人さんが秀吉を演じた大河ドラマ明智光秀像が好きなのかも知れません。本能寺の変の後の茫然自失した姿を思い出す事ができます。案外史実の光秀はあんな感情だったかも知れない。感情的にも立場的にも追い込まれたと感じた光秀が千載一遇の好機として信長を討つ。しかしやり遂げた後の虚無を、有力武将が誰も味方してくれない状況下で感じていたのかも知れない、と。

 人物としては秀吉と秀吉母の描き方が今まで以上にネガティブ的で好きでした。秀吉母はよく言えば恋多き女、悪く言えば男好きのやり〇んって人らしかったようで、そんな様子が端々に見えましたし、秀吉も陽気でありながら酷薄非情という面が色濃く出てました。あとは松永久秀かなぁ。あれは良かったなぁ。

 美術や考証面では良かったと思う反面、設定が何だか十年前の通説に寄り添った形で、ちょろりとかじった自分には違和感ばかりが残る物語でした。