pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

昨日の続き

 長くなってしまったので昨日はとっとと終わってしまったのですが、ローマ帝国の支配階級である元老院階級が、文明としてのローマを支えていたにも関わらず、庶民を含めた安全保障機構である『帝国』の存立に寄与する事、具体的に言えば外敵に対する防衛に対して無力であるにも関わらず、富裕で特権的な生活を享受していたので、『帝国』防衛を担うことで台頭した新興の軍人貴族や、納税義務のある庶民からそっぽを向かれ、新陳代謝を衰えさせた為に、ローマ古来の宗教、文化を報じる彼が衰退し、故に文明としてのローマも消え去ったという説が、昨日とりあげた本に書いてあったのですけれども、その比較対象として本の中で取り上げられているのが古代中国の文人貴族であり、同じく文明の担い手であった彼らは、庶民の支持を得ていたとは言えないものの(どう考えても地主と小作農の関係にしか見えない)、後漢末から続く戦乱時代で統治の実際を担ったのは彼らの領地経営であり、軍事能力を持っている故に成り上がった存在である軍人たち(三国志演義の英雄たちも含む)にとってはなくてはならないでもありました。

 領地支配の正当性は文人貴族たち仲間にならなければ付与されず、通婚によって、そして風習、文化を通じて同じ階級に同化してきます。これは異民族に対しても行われ、隋唐を創設した王家も血統的には北方遊牧民でありながら漢族に同化し、中華帝国の担い手として認識される事になります。

 この傾向は日本にもあって軍人=武士たちも、支配(徴税権)の正当性を文人貴族の側面を持つ朝廷=公家に求め、日本文化と称される和歌等を学び、その担い手の一部になる事を望んでいきます。

 中国も日本も、文人貴族が、特に庶民の為に何かする存在ではないけれども、支配の正当性を付与する存在であったからこそ、新興の軍事勢力は同化する事を望み、文明の担い手となりました。

 しかしローマは元老院階級が庶民を含めた安全保障機構である『帝国』の担い手であったが故に、自らの生活の安穏、快楽を優先させてしまった故に義務を放棄したと見なされ、見捨てられ、滅亡したと言えるのかも知れません。貧者を勇気づけ、生きる望みを与えたキリスト教が、ギリシャ・ローマの多神教を駆逐していくのも、貧者が富者を厭うが為、富者が崇拝するものを拒否していったから、なのかもしれません。

 ローマ帝国衰亡の一因をまた一つ教えてもらったような気がします。

 んで、現代社会もある意味、ローマ帝国と同じ危機に晒されていると思うんだよねー。富裕者が自分たちの事だけ考え始めたら、足元を掘り起こされて消えていきそうだナ。文明の担い手(科学技術の研究や、美術文芸を購入によって支援するのは富裕者であるから、現代でもその理論は通じる気がする)が一般庶民の支持を失った時、現代文明も衰退するのかな。