pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

明日、また増えます

 鼻水の事ぢゃないです。本の事です。借りた本は店で、買った本は自宅で読んでいるのですが、明日か明後日か、文庫本で二、三冊増えそうです。昨夜一冊読み終えたのですが、まだ一冊あります。借りた本は4/9までの返却ですが、十冊中四冊読み終わりました。読む本が一杯で幸せですが、ゲムをする時間はないです。時間は有限だから仕方ない。

 

パーツから考える戦国期城郭論

パーツから考える戦国期城郭論

 

  実は自分、城というか古跡というか遺跡というものに、あんまり興味がなかったのですよね。当時の姿を復元するには限界があるし、復元する過程で政治やら観光やらの思惑で、想像上の産物になってしまう事も多々あるし(バブル期前後の自治体にお金があった頃は、そんな感じでした)、ならどこで何を見ても同じだろうと思ってしまって、自分から旅行を思い立つ方でもないので(誘われれば行く、という人)、社会人になってからは史跡を見たい、という欲求も萎んでいたのです。

 んが、西股さんの本を読んでいると、あ、なるほど、そういう視点で遺跡を見ればいいのねーっという、自分にとっての新しい発見があって、遺跡を見て回るのも悪くないな、とか思えるのですよね。あと、なーんか小規模な土の城の防御設備、縄張りを見ていると、マイクラサバゲーとかやる時の要塞づくりとかの参考になるんぢゃね?とかね。自分はやった事ないけど(あ)。特に竪堀というものは敵の進入路を規定し、少ない人数で火点を形成して敵を撃退するには、有効なのではないかと思えましたねぇ。

 やった事ないけど。

 売れれば連載第二シーズンが開始されるかもしれないそうなので、ご興味のある向きはどうぞ。城は高石垣づくりばかりぢゃないですよ。

 

 戦国大名の伊達氏って何となく有力旧族っていうイメージがあったのですけれども、それって江戸時代のイメージ戦略だったんですね。いや、有力旧族には間違いないのですが、鎌倉時代からの惣領の系統が戦国、江戸時代の大名当主につながるのではなく、南北朝の混乱期に一族が分立してしまい、惣領家が後退(没落ではなく、相対的に規模が小さくなり、桑折氏と名乗るようになる)。先日読んだ南北朝南朝で活躍した武将たちの文章に、伊達行朝という人物がいるのですが、系譜が不明であり、彼の子孫がその後の伊達家を代表するようになったのかも分らない。

 はっきりするのは、つまり大名伊達家の確実な直接の先祖は宗遠という人物からで、南奥で最大級の領主となったのは次の政宗(独眼竜政宗はこの人の実名からとった)。つまり室町期になってからのようです。それを江戸時代の大名家となった伊達家は先祖を古く見せる為に系譜を、でっち・・・いやいやこさえたらしく、だから大名家の伊達家には鎌倉期の資料が残っておらず、その時期に惣領だった桑折家に残っているのだとか。

 戦国期になって、まぁ中央が混乱してきた時期に家格の上昇を試みるようになります。奥羽では足利一門の斯波家分家筋である大崎や最上が一番家格が高く、最大規模の領主と言えども席次は、その下だったそうですから。

 ちなみに現在の系譜では山蔭中納言という藤原氏の人が先祖と設定されているそうです。でも確実に追えるのは源頼朝奥州合戦で手柄を立てて領地をもらった常陸入道念西という人物が始祖で、奥州だけでなく但馬にも領地を持ち、南北朝期にはそちらの系統も活躍したそうです。

 なんかね、必死に箔付けしようとする姿がね、アレですよね・・・