pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読書スピード

 一般向け学術書を読み終えて小説にとりかかると、なんというか物凄く読書スピードがあがります。たぶん、ト書き部分で読み飛ばしている可能性がありますし、文章の調子が良いというのもあります。少なくとも自分にとって読書リズムがあっている作家さんばかり選んで借りている事もあるし。

 とはいえ、日記に書く分量は学術書の方が多いのは、小説はあらすじ書いちゃまずいよねーっという気持ちが働いているからでしょうか。

 なのでこれ。

 

  刀やら帯刀やらの意味を明確にした上で、その意味を論じています。

 江戸初期は自助自衛しないと殺されるという意識の下、武装できる人間は階層の区別なく二本差しをしていました。島原の乱の後は自衛の為の武装という意識が薄れ、ファッション性が進み、反りがなくなり抜きにくい棒状に近くなり(このあたりから武器?という感じになる)、金銀装飾が増えて実戦向きではなくなっていきます。

 誰も彼もが派手な装飾として身に着けるようになり、華美を危惧した幕府により武士階級以上と帯刀が禁止され、江戸中期あたりから二本差しが身分標識となります。ちなみに禁止されたのは二本差しであり『脇差』と称すれば刀と見まごうばかりの長脇差だろうと、問題視されなかったみたいです。とはいえ一般庶民が脇差を携えるのは武器というよりも礼装の一部と認識されていたみたいです。武士の二本差しが正装の一部と認識されたように。

 時代劇でネタになる武士による無礼討ちは暴言に対する行為であっても追放罪。泥酔などの前後不覚による加害なら死罪でしたから、武士階級が庶民を虐げた事例には(少なくとも法令に残る範囲では)ならないようです。

 庶民にとって二本差しは上流階級の指標となり、有体に言えば見栄、名誉心を満たすアイテムとなったのですが、これが幕末になると状況が変わります。テロの横行により、身分標識から忌むべき凶器へと認識が改まります。

 その後明治政府は献金や寄付金などで幕府により苗字帯刀を許された人々を士族から排除する為に帯刀禁止を発表しますが、次第に役人の服装が洋装になっていくと帯刀が行動の邪魔になり身分標識としても不要のものと認識されるようになります。そこで全面的に廃刀令が発令されたと。しかしここで気をつけなければならないのは佩刀として外出してはいけないのであって、蔵やら家やらに所持している事は罪にはならなかったらしいという事で、刀それ自体は市中に残っていたようです。日本人が現在のように完全に武装放棄したのは戦後米駐屯軍の勝者としての武威を背景にしなければ達成できませんでした。

 ただし幕末のテロの嵐の記憶は忌むべきものとして残り、『文明開化』に劣る『旧弊』な旧体制の凶器というイメージがしばらくあったこと(このイメージの旗振り役の一人が福沢諭吉で本来なかった『切り捨て御免』という言葉を創造し武士階級の横暴の象徴として刀をクローズアップさせていた)。のちに反動としての日本刀の復権は起こりますが、それは武器としての復権であり、身分標識としてではない、って事ですかね。