pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み終えたものがないのでネタに困るなり

 一応、今日の午前中に図書館に行くつもりですけれども、先日調子に乗って読み終えた小説本の感想を全部書いてしまいましたから、ネタないなーっと。

 んで思い出したのが、NHK庵野秀明さんに四年間取材したという例の番組。本放送は見逃し、再放送の予定も見当たらなかったので、まぁいいかー、と思っていたらYouTubeであげている人がいたので、消される前に見ておきました。ついでにね、岡田なんちゃらさんの「NHKはドキュメンタリーをつくっていない」というYouTubeも見ましたが、円盤派の自分は「シン・エヴァンゲリオン」を円盤で見るつもりでして、それを見た後の感想で書こうとは思っていましたが、まぁネタがないから書いてしまえ、と。

 自分としてはエヴァンゲリオンに対して、ガンダムボトムズやカウボーイ・ビバップに対するような気持ちは持ち合わせていません。登場人物の痛々しさに共感は覚えるものの、物語として自分が好きとか、唸るとか、ヤラレタとか感じる面がそれほどないので。だいたい想像する展開をなぞっているよなー、と。だから演出には興味は持つけれども、そこまでからな。押さえておきたいとは思うし、円盤も買うけど、見終わった後泣く、とかはどうかな?と懐疑的。

 なので庵野監督の手法とかも「へー、そうなんだ。つきあう方は大変だなぁ。大変だけど、やりたいことをさせてくれる現場だから、スタッフは参加するんだろうなぁ」とかぐらい?そのあたりはかつて『オネアミスの翼』で一緒に仕事した岡田さんなんかが「それはヤマガがやっただろ」みたいな突っ込みを入れているのをみると、ご自分が経験したもの、見た事があるもの、それら全てを総動員して、見た事がない映像として構築していく、というのが正しい解釈なのかな、とも思います。

 最近「天才」という言葉に懐疑的でありまして、そういう言葉でくくられる作品、物事でも思考や手順を追っていけば、それを造りだした人、組織の過去の経験や知識が昇華したものであると理解できる訳で、発想力の評価であって、ある日突然スバラシイものができあがる訳ではないということ。

 庵野さんにしてもそうで、実際の製作にかかった四年間やそれ以前の前作が完成した瞬間からの月日に経験したこと、思考したこと、それら全てが反映されている訳で、ある日、ぽっとできた訳ではない。それが「天才」という言葉を使った途端に安易なものになってしまう感じがして、好きになれないのです。

 ま、解り易いイメージですからね、「天才」って。でもその言葉を使用するのは文章表現者の逃げのような気もする。イメージに語らせて具体的な描写や表現をしなくても、それがスゴいと思わせる事ができるから。でも「天才」的なものが何かなんて演出で語るしかない。突き詰めて考えれば、日下に新しい事などなく、それを感心させるのは演出の出来しかないのだから。

 そういう事ををしっぺ返しする為に、庵野さんは『プロフェッショナル』の取材を受けたのかな。そして「番宣」と庵野さんが言ったとおり、番組スタッフは庵野さんという人物の表層だけをなぞった作品を放送した訳であり、話ができていたのでなければ、スタッフは「してやられた」とも言える訳で、なんかそういう考察も面白いな、と思ったりしたり。

 ああ、シン・エヴァの感想とともに書きたかった事は書ききってしまたわ。