pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み終わっていないですよ

 そんなに早くは読み終わらないです。

 『A列車でいこう』は赤字の水族館を処分したら一気に好転しました。次のシナリオにかかるかどうかは、その時の気分で(あ

 『大友義鎮』は評伝ですが、どちらかというと考古学の成果をもとに組み立てられていまして、今のところ、大友氏は硫黄貿易で利潤を得ていたこと。南洋、薩摩経由で大友氏の本拠である豊後府内に外国船(主に中国の密貿易船。正式な交易は「勘合貿易」という朝貢形式の国同士のもので、それに関わっていないのは中国側からすると全て密貿易)が入港し、その為の船着き場や大友氏自身が勘合貿易に加わって参加させた大型船のドックとかも発掘されているそうです。九州や中国山陰の勢力は積極的に対外貿易に関わっていたようです。

 『織田信長』は信長の出身家である織田弾正忠家の立ち位置と発展過程、そして父信秀が病身になった為に、その当主機能の一部を代行する形で、まず十六歳の信長が那古野城で、ついでいよいよ再起不能になった事で信秀手元で育っていた弟信成(信勝)が末森城で武将として活動を始め、斎藤道三娘と結婚していた信長は道三敗死によって孤立し、それを追い落とす為に信成が家督争いを挑んできた、と。

 尾張守護斯波義統が下守護代の織田大和守家に殺害され事が契機となって、その後継ぎ斯波義銀が信長を頼って逃れてきた事が逆転のきっかけとなり、叔父信光と組んで織田大和守家を倒し、弟信成を倒し、そうやって尾張の過半を制圧していく過程で、鳴海を支配している山口家が、三河まで勢力を伸ばした今川家と織田家の境目の領主として存在していたものを、最前線を直轄地にする為、今川義元が謀略によって滅亡させます。この鳴海領を確保し、なおかつ尾張に恫喝をしかけるのが今川義元の戦略だったようで、これを迎撃し義元を打ち取ったのが桶狭間の戦いだという事です。

 たぶんこれが桶狭間の戦いが生起した理由でしょうね。

 今は足利義輝が殺された『永禄の政変』の説明とか、それにいたる中央政界の変遷の記述あたりを読んでいます。

 ああ、楽しいわぁ。

 父親が就寝したのを見計らって、録画していた『あてなよる』というNHK-BSの番組を見てね、味噌種麹を使った日本酒をスパイスカレーに合わせていたのが、なんか味わってみたくなって、日記を書き終わった注文してみようかと思っています。赤葡萄酒に似ているっていうコメントが引っかかったので、まぁハズレと思ったら、ちびちび飲んぢまいますよ、はい。