pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

SFネタにも流行りはあるのかな

 自分が特に流行りを追いかけて何かをするタイプではないので(流行りを追いかけるのはお金がかかるというイメージがある)良く解らないのですが、今から振り返ると2000年代って仮想空間ものが流行っていたのかなぁ、とか思ったり。自分が未だに一押しするSF小説『グランヴァカンス』も仮想空間のAIたちを襲ったホラーチック悲劇だし、アニメ版見ていないけど『楽園追放』は宇宙に逃れた人類がデータ化されていて半不死みたいな感じだったし、そしてこの小説の元ネタアニメもそうだったようです。

 

エンタングル:ガール (創元日本SF叢書)

エンタングル:ガール (創元日本SF叢書)

  • 作者:高島 雄哉
  • 発売日: 2019/08/29
  • メディア: 単行本
 

  元ネタというか原作というかのSFアニメ『ゼーガペイン』を見ていないのですけれども、wikiでちょろりと調べたら、基本はロボアニメみたいですね。この小説を最後まで読むと、その世界に繋がっているので、ああなるほど、と。

 ただ世紀が変わった頃・・・いや、Zガンダムに乗り切れなくなった頃からかな、無敵主人公ロボのアニメーションに対して興味が薄くなっていましてね、『カウボーイビバップ』を見てから決定的になりましたから、ロボものと認識した時点で自分の興味が向かなくなったのかも知れません。その後はロボよりも人間ドラマに興味が向くとロボものも見ているようですけれども、あんまり覚えていないという事は、そこまでロボが興味の対象ではなくなっていると。おとこのこぢゃなくなっちまったのかな?

 この小説もロボは欠片も出てきません。量子コンピューターで演算された世界の中でしか存在しない人々が永遠に一夏を繰り返している。ただこの手のタイムループものと違うなぁと思ったのは、登場人物は同じでも、行為は同じことの繰り返しではなく毎回変化が生じているということ。主人公の女の子は映画を撮りたい、つくりたい人ですが、演算管理者に言わせるとその映画の内容が微妙に異なり、人間関係も微妙に異なっていくらしい。

 それから量子コンピュータもバグが生じると演じられる世界に辻褄の合わない展開が生じるというのも他にはない設定かな、と。だいたい量子コンピュータというか演算主体は無謬であるというのが前提になっている物語が多いけれども、著者が物理学を本格的に学んだ方だからか、絶対性を否定しているみたいに感じました。そしてその揺らぎが切なさを生んでいる気もします。

 あと、高校ものを読むたびに思うけれども、これは書き手の『理想の高校生活』なんだよなーっと。自分の実際の高校生活は三十年前ですが、当時だって生徒会の選挙なんてお祭りになんてならず、単なる信任投票だったし、部活に勤しむ人々は一部だったし、帰宅部は圧倒的だったし、学校祭に熱中して夜半まで居残り続ける生徒もいれば、クラスの出し物にも大して参加せず帰宅する人も多かったような気がします。

 自らの憧憬を思春期小説にぶつけるものなのかなぁ、とか思ったりしたり。そんな感じでした。