pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

『時代劇は女性が輝けない』

 という趣旨の発言を、あるドラマ制作に関わった時に著者の方が女優さんから聞いて、その事が念頭にあったそうです。

 

  これは好みの問題なのでアレなんですけれども、確かに少数の例外を除けば、時代劇に登場する武士の妻女はテンプレートがあるように思えます。最近はそうでもないキャラが登場していますが『控えめ』とか『内助の功』というのがキーワードになっている感じ。前に出てくる感じのキャラ造形はこの十年で増えたかな、と思いますが。

 それで著者の方が気に掛けるようになられて、つまり当時の上級社会における妻女の立ち位置の実際はどうだったのか、という事を調べた成果、というべきでしょうね。

 まず公家であろうと武士であろうと結婚は恋愛の結果ではなく、生産存続単位である『家』の都合に合わせたものであり、この『女戦国大名』とも言われる寿桂尼においても例外ではありません。そして嫁ぎ先での立場は実家の社会的地位や自らが嫡子の生母であるか、という事に関わっていたようで、夫今川氏親と結婚して即今川家家政を司る存在にはなっていません。結婚当初は姑の北川殿が家政を司っています。でもこの北川殿も際立った個性ですよね。今川氏親と伊勢宗瑞のゴット・マザー的な存在であり、彼女の氏親を今川当主にするという執念がなければ、戦国大名である今川氏親、伊勢宗瑞は存在しなかったかも知れないのですから。

 嫡男氏輝を出産したあたりから寿桂尼は今川家家妻となり、家長氏親が表であるならば裏を支える存在となります。『女戦国大名』というべき存在になるのは夫が病気がちになり、また後を継いだ息子氏輝も病弱で政務が執れない状況にあった為、当主代行として書類決済をおこなっています。

 しかし外交や軍事に関しては、やはり当主の専権事項であったのか、あるいは戦闘指揮官になれないせいか(女性だから,というよりも、そもそも軍事的な教育を受けていないと思う)、能動的に動いていません。また決済もあくまで当主代行であり正式な裁許は氏輝当主復帰後に氏輝からなされるというものでしたが。

 成長し体力もついた氏輝が活動を再開すると寿桂尼は家妻の仕事である家政に専念します。これは今川家の私的財産の管理ばかりでなく、当主の婚姻に関わるものも含まれており、言われてなるほどと思ったのが夫氏親の妾の選定は寿桂尼が行っていたようなのです。夫の好みは関係なく、どんな家臣のどの娘を夫と娶せ、今川家当主を支える藩屏となる庶子か、あるいは婚姻政策に資する女子を得るかという事を考えていたみたいです。もちろん自身も体力があるかぎり当主の子を産みます。このあたり人は財産と考えている当時の感覚があるのかも。それに幼児の死亡率は現代とは比べ物にならないくらい高いし、実際彼女所生の息子二人はほぼ同時に病で亡くなっています。

 著者は今川義元庶子であると推定しておられます。また花倉の乱で争った次男恵探よりも三男義元の方が氏親葬儀の席次を見る限り上席扱いであり、そのような秩序を定めた寿桂尼が次期当主として義元を支持するのは当然です。

 義元が当主になった後も、義元正妻の定恵院が若死にした事もあって寿桂尼は家妻として今川家の内向きを処理してきましたが、義元戦死後くらいで引退したいみたいです。

 家長の代行をしたり、また亡くなるまで他の戦国大名も彼女の存在、意向を無視する事はできなかったようです。今川家に襲い掛かる直前の武田家が、寿桂尼訃報を重要事項として当主信玄に報告しているのですから。彼女自身の内外における影響力を考慮しなければ、侵攻作戦の方針を立てられなかったという事ではないでしょうか?

 とはいえ、彼女を大河ドラマの主人公にするには、なにか工夫が必要ですね。彼女が亡くなる時、まさに今川家滅亡の足音が近づいてきた頃でしたから、『終わりよければ全てよし』にはならないですもんね。

 個人的には取り上げて欲しい人物ですけれども。

 それなら、弟や息子の尻を叩くように生きた北川殿の生涯を大河ドラマにした方が楽しいでしょうね。にやにや(完全に『新九郎、奔る!!』のイメージなんですが。