pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

ネタがないと忘れてまう

 ちょろりと仕事をしてまったりしてしまいました。はい、ネタがないからです。『砂の惑星』は二冊目の中頃まで読みました。主人公母子は現地人のところへ転がり込んで・・・いなかったっけ?なんにせよ過酷な砂漠の旅をしているところです。後は、変な小細工から主人公母の裏切りを確信する老臣とか(おいおい)、爽快すぎるほどの外道っぷりを発揮する敵役男爵とか、随分メリハリのある人物像で、そっか、エルリック・サーガが斬新って言われた時代だもんな。解り易いよね。特に敵役が。

 あとは就寝前に読んでいるのがポワロものの短編集ですが、ギリシア神話の『ヘラクリス十二の偉業』になぞらえてエルキュール・ポワロが十二の事件を解決するもの。ちょっとした小品集なので気楽に読めます。二度目だし特に感想を書く気はないです(あ

 それて図書館で借りた本も、ちょろりと興味を持って読んでみた江戸時代の外様大名やら譜代大名を網羅した新書群三冊があるのですが、あまりにもおおざっぱな入門の入り口みたいな内容で、しかも結構誤字とか誤記とかも散見するし、まぁ江戸時代の大名も、素行が悪いとお取り潰しされたり、経済政策に失敗してヒィヒィ言ったり、太平の世でも時代に見合った苦労があるものですね~、という感想ぐらい?

 しかし戦国期までの武士って経済人でもありまして(経済的裏付けがなければ武装をし、訓練をする余裕などないから)、多角企業みたいに農業だけでなく物流やら林業やら商業的な活動も盛んに行っていたのですが、江戸時代になると真逆に(というか戦国期までの武士からすると無能とも言えるほどに)「武士は食わねど高楊枝」が前面に出される感じ。もちろん戦国期の武士も見栄や名誉を重んじる事では人後に落ちず、「舐められたらぶっ殺す」という価値観の持ち主でしたが、この「ぶっ殺す」為の経済的裏付けや徒党(一揆)を組む事も用意周到にしていたように思えます。

 何処で変わったのかなぁ、と考えると豊臣政権期からなのかな?織田信長政権までは自力で養った兵力で軍事奉公する事が前提の社会でしたから、経済感覚のない武士は無能と言われても仕方ない。秀吉期は領主型よりも俸禄をもらって戦う層が増えてきたような気がするのです。つまり、農業、商業から戦闘あるいは統治専門職になった武士が次第に増えてきた、と。個人的に戦国期までは大中小零細企業家になぞらえると解り易い武士が多いように見えるのですが、江戸時代になると零細企業が大中小企業に吸収されて、いや小企業も領地経営などせず給金支給される立場になって、大多数がサラリーマン化したように思えるのですね。つまり金計算しなくてもお給金がもらえる武士が増えてしまった、と。それが主流派になってしまったから、江戸時代の経済政策って細かく見ると実情にあっておらず、実際の経済を運営している商人たちの行動を追認する、事後承諾みたいな展開が多くなるのかなぁ、と。江戸後期になると武士側も洗練されてくるようですけれども。

 そんな思いついた事を書いていたら、あ、千字超えました。