pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

そういえばそうか

 金曜日の深夜と日曜日の昼間、酒飲みながら録画していた映画を見ておりまして、これを見ていたら、そんな事を思いました。

 

  旧約聖書出エジプトエピソードを映画化したものです。現代的だな、と思ったのはモーゼとエジプト王を義理の従兄弟同士で信頼しライバル視して、互いに認め合い、次代のエジプトを担う存在として物語が始められたこと。まだ即位前のエジプト王が出征し、その命を助けたものが『民を率いる』という予言がされ、信頼関係に徐々にひびが入っていく。やがてモーゼは即位したエジプト王の筆頭顧問官となり、地方の汚職などを取り締まるのですが、その視察で実は奴隷としてこき使われている人々の出身だと言われる。それを汚職地方長官が耳にして王に注進。モーゼは追放されますが、王はそれでも彼の荷物に武装を加える事を許しています。

 このモーゼとエジプト王の葛藤が非常に人間的で、特に王の苦悩がとても共感できる。もちろんやる事は独裁者なので過激であり、結果的に取り返しのつかない事になるのですが、それでもモーゼになじられて自らの力を情け容赦なく発現するアレよりもよほど共感できる。神と〇魔の区別なんて、ほんとはないんぢゃないか?ま、そういえばどっちも非人間的な存在である事は確かなので、そりゃそうだよな。非人間的な行為も平然と行うよな。

 なので見ていて逃亡側にちっとも感情移入できない。却ってアレの為に酷い目合うエジプトの他の民に対して同情してしまうし、なんなら生まれたばかりの赤子の息子を殺されてしまうエジプト王の悲哀がわが物になってしまう。

 ネタが解っているから、逃亡する奴隷たちは助かると念頭にあるからそう思うのかも知れません。

 旧約聖書はダイナミックなエピソード満載なので記憶に残っているのですけれども、その内容からして以前から納得できず、「一神教の神って残酷で嫉妬深くて、非人間的だよなー」という感想しか持てません。まぁ宗教ってのは「知る」事ではなく「信じる」事を要求されるものであり、知らなければ信じられない自分のような人間には不向きなものなのかも知れませんね。

 

  たぶんコレかな。TVアニメ『サイコパス3』を見ずに、その続編の映画版を見てしまいました・・・まぁだいたい分かるけど。

 このシリーズってシビラシステムに関わる物事をやっているけれども、何処に落着させる気があるのか、良く解らないのですよね。シビラを肯定も否定もしていない感じで、登場人物たちも何をどうしたいのか良く解らない。エピソードは売れ続ければ、続けられるって事なのかな。まぁサスペンスものとして自分は見ているので、公安の機構に突っ込みながら楽しんでいましたけど・・・TVシリーズのBDは、どうするかなぁ・・・