pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

昨日書きたかったんだけど

 大日本帝国憲法と連続して書きたかったんよ。だいたい大正デモクラシーと言われるあたりから大日本帝国憲法が破綻していくのですが、その原因はトップダウン式の君主主義体制にあると思うのですよ。明治維新前後は、討幕期に活躍していた経験豊かな連中が天皇を補佐し「船頭は少ない方が良い」の論法で、政策思想が似ている者たちで首脳部を形成し、反対勢力の意見を極力影響を及ぼさない体制にする事が、安定的な国家運営に繋がると考えた、と思うのです。

 ところがその経験豊かな超法規的な存在である『元老』が徐々にこの世から引退していくのが大正期で、ある意味議院内閣制に近い国家運営になったのは、『元老』の影響力が小さくなったからではないか、と思うのです。国家運営が少数寡占から民選寡占に移ったのは一つの進歩なのですけれども、国家の利益よりも私党利益が優先されていくという悲しき展開。海軍軍縮を利権侵害と理解した軍部が野党と結びつき、本来は戦場の総司令官が後方の容喙を受けずに最高指揮官として職務を全うする為の、統帥権天皇大権が、軍政にまで及ぶと拡大解釈を始めたところから軍部が政治家を威圧するようになり、軍部独裁の暴走と大戦の破局に繋がるのだから、やはり大日本帝国憲法は時勢に合わなくなっていたとみるべきでしょう。つーか、個人の資質に寄りかかりすぎているのかも知れない。

 その最悪で醜悪な部分が大戦最末期に露出する訳で、焼却されなかった事にされそうになった資料を丹念に集めて調べられたものです。

 

  戦う人手がいねーから、老若男女問わず誰でもいいから戦わせろと。武器もないけど素手で戦え、と。軍部が守るべきが国民ではなく『国体』とかいう良く解らんもの(自分にとっては良く解らん。国民よりも優先して守るべきものってなんだよ。国家の存立前提が違うのかな。彼らにとって国家とは天皇とその一族と、それを支える体制だけで、彼らが仕事できるように後ろ支えする国民は入っていないらしい。ならば東京都中央区だけで『日本』って名乗れよ。他は関係ねーだろ、とか思ってしまう)と宣言したようなもので、国民からすれば軍部は職場放棄したようなもの(実際8/15に職場放棄して軍人だけ勝手に逃げ出したところもある)。

 自分は特攻隊で戦死した人たちを殊更持ち上げる人たちが好きではないです。もちろん戦死者には敬意を払うべきだけど、一人の兵士が一回の出撃で死んでしまうのと、反復出撃して何度も戦うのと、一体どちらが良いのか。戦争とはより効率よく敵や味方を殺した方が勝つという非情な行為であり、それを美化する事は、再びそれを命じてくるトンデモ野郎を肯定する事に繋がると思うのです。特攻戦死者と戦場での戦病死、餓死者は等しく敬意を払われるべきだし、ドラマにしやすい特攻隊員のみを尊重するのもおかしいとも思います。

 特攻を美化する事で、まったく非効率的でやるだけ戦死者が悪戯に増えるのみの、ろくな訓練も武器もない民間人を動員するなんて、軍が自らの失敗を話をすり替えて隠そうとしているとしか思えない。読んでいて不愉快になるし、吐き気がするし、これが自分の国が過去にしてきた事かと思うと陰鬱な気持ちになる。けれどもそれをなかった事にする事が一番の犯罪行為だと思うし、知る事こそが日本人の義務だとも思うのです。

 とはいえ、明日の日記は自分が好きなジャンルの本や映画の事が書けると思うと、肩の荷が下りた感じになります。はぁ・・・