pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

今夜は温度をあげる

 26℃設定の冷房が寒く感じているから眠れないのではないか?タイマー切れたら意識を失ったので、その可能性は大きいのではないか?今夜実験するであります。

 さて読み終わったもの。

 

  最近Twitterフォローしているのが、中世日本史研究者関係の方が多かったせいか、その関係で数か月前から出ると情報が回っていました。中先代の乱とは、鎌倉幕府が滅びた後、北条氏与党による反乱の中で最大のもので、足利直義らの鎌倉将軍府を鎌倉から追い落とし、二十日間鎌倉を占拠した、というもの。ま、その後後醍醐天皇の事後承諾を得て下向してきた足利尊氏に何故か連戦連敗し、あっけなく鎮圧されてしまいますが、その戦後処理で鎌倉にとどまった尊氏が叛意ありとみなされ、結果的に南北朝の戦乱が開始されるので重要な事件とは言えますが、当事者の北条残党の影は、中先代の乱の後はめっきり薄くなります。

 そして北朝、すなわち足利尊氏優勢になった情勢で、よりによって鎌倉幕府滅亡発起人の南朝方に合流するのですが、これは北条氏目線からすると当然の選択とも言えます。かつて幕府を主催していた時に結びついていた北朝=持明院統は足利氏と結びついて南朝について優勢。北条氏と今更手を組んではくれません。また北条氏にとっては足利氏は身内同然に寓してきた有力御家人でした。足利氏がどう思っていたかは置いておいて。その足利氏が裏切ったからこそ幕府は滅亡した、という意識は強く、実際に鎌倉を陥落させた新田義貞子息たちと共闘する事はためらいなく選択しています。後世からは新田氏は『清和源氏一方の旗頭』と評価されていますが、これは太平記とかが作為的に表現しているせいで、鎌倉期の新田氏は広義の足利一門に属し、義貞たちも足利氏首脳部の指示によって挙兵、鎌倉進撃を成しえたと評価されています。つまり北条氏残党にしてみれば、全て足利尊氏のせい。

 しかし瞬発的に大軍を結集し、北条与党の底力を見せますが戦果を持続させる事はできず、最後の得宗北条高時の次男(と思われる)北条時行が処刑された事で彼らの決起は終焉を迎えます。幕府滅亡時もそうなのですが、北条氏って一門以外にめぼしい存在がいないし、滅亡した後はなおさら、実名が伝わるような大物もほとんどいないのですよね。印象として鎌倉幕府を支えた北条氏は一族企業で回しており、数少ない血縁を失ってしまって急速に影響力を失った印象があります。まぁ名は残り戦国期に北条の名を借りて(本人たちは継承したつもり)南関東に覇唱えた小田原北条氏の存在もありますけれども。

 あと「だよねー」と思ったのが著者の方が中高生の時に北条時行が好きになったのは、当時秋田書店(だと思った)で出版されていた少女漫画で鎌倉期を扱っている方がいらして、それを読んだ影響とあとがきで書かれていましてね。自分も足利直義北条時房を知ったのは、その少女漫画家さんの作品に接したからでして、北条時行が登場する作品からたぶん離れたと思うのですけれども、やっぱ漫画の影響が強いよねーっと。

 今現在ジャンプで北条時行の物語が連載されているそうですから、それで時行に親しんだ人の中から、研究者が出てくるかも、と思うとワクワクしちゃいますね。あ、自分はアレなんですけれども。

 長くなったので感想書けないけど、返却するからこれも。

 

  ベルギー出身の研究者の方が、オランダ商館長が残した日記をもとに、江戸時代の火災や災害について、日本人が残したものより詳細な記録をもとに整理されたもの。特に『明暦の大火』の実情が克明に描かれており、火災に脆弱であった当時の江戸の様子、人々の対応、避難の状況などが解ります。そうそう。火事ってこんな感じなんだよねー(二十年以上前に近所で起こった天を焦がす火柱とかを思い出しながら