pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

なんですと?

 今朝Twitterで見た米澤穂信さんのつぶやきで、漫画版氷菓の連載が続いている事を知り、アニメ版の漫画化ならば興味があまり起こらなかったのですが、原作を時系列順に追っているとなると・・・でも最新刊が十三巻かぁ・・・本屋で見つけたら買っちゃうだろうけど、本棚があふれている現状では自殺行為だよな・・・とか思ったりしたり。

 今日の感想文も思い付きで購入した本だしナ。

 

  中世後期に、つまり日本人が大好きな南北朝期から戦国期まで武家の頂点に君臨した足利氏を権威・・・儀礼的な価値から評価した検討した本です。よーつべの動画で細川政元が好きな方が(よーつべのアカウント名がどう考えてもそんな感じ)、著者の矢口雄太という方の論文を基本に『オールナイト幕府』とか銘打って何時間も生放送をされていまして、その内容をちょろりと耳にしたり見たりしたのですが、これ自分で読めば何時間もかからないよな、と思ってポチッとナ、しました。活字が大きくて行間が広い本だったので、案の定でした(オイ

 興味深かったのは、武家の貴種として『足利一門』というものが設定されており、これは源義国を共通の先祖として持つ武家のみが名乗れるもの、という認識で、非足利一門から『足利一門』になるには相当なハードルがあり、なったとしても妬みの対象となって没落、抹殺されてしまう事例が多かった、とのこと。こわっ。

 太平記史観に見られる足利氏と新田氏の嫡流争いはそもそも存在せず、最初から嫡流在京が足利氏、庶長子在地が新田氏と一族で役割分担していたようです。面白いのは松平氏は足利氏に対抗する為に世良田清康とか徳川元康(のち家康)を名乗ったのではなく、そもそも鎌倉期から足利氏の領地が多い三河国で、支配の正当性を求めて、でも室町期の足利一門としては関東以外は目立たない世良田氏や徳川氏を名乗ったという事ですかね。それを最終的に足利義昭が承認したのは、自らが追放され、何とか復権を目指していたので家康を味方にしたい一心からなんでしょうね。

 並行して読んでいるのが『北朝天皇』という本で、ちょうど足利義満がいかにして権威が失墜してしまった北朝天皇を盛り上げようとしている箇所を読んだばかりだったので、この時期に足利氏も『武家の王』になったんだよなーっと。

 それがどうして転落し、足利氏を必要としない三好氏や織田氏のような存在が台頭したのか?著者は足利将軍自らが、足利一門でなければ就任できない役職(奥州、九州探題)や儀礼装置(毛氈鞍覆とか高位の武家ではなければ認可されない装い)、官位を大量に戦国大名たちの求めるまま、ではないですけれども、一応の法則性を踏まえつつも、しかしやはり前代に比べれば安易に許可してしまった事が、『武家の王』としての価値を相対化してしまったから、と結論付けています。

 関連して徳川将軍も平時の儀礼化で絶対化を成し遂げたのが、戦時とも言える幕末で『対処するリーダー』を演じなければならなくなってから相対化が進行し、ついには討幕され支配者の座から引きずり降ろされます。

 そういえば儀礼的な存在だけで続いているのって天皇家だけなのですが、この現象はどう説明するべきなのか。精神論とか、そういうのは置いておいて、説明には何が必要なのでしょう?