pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

打った

 例のワクチンです。打ったところが腫れている感じで、打った左腕があげづらい状態です。なるほど腕が動かせないとはこういう事なのか。確かに軽く体調が不良?みたいな。しかし風邪とまでは言いきれない(発熱していないし)。噂では二回目の方がキツイらしいですが、三週間後って連休明けなんですよね・・・連休前ならまだ良かったな。寝て過ごせたから。自営だから有給なんぞありゃしないし、症状が軽い事を祈るばかりですわい。

 ま、三週間後の事を心配しても仕方ないので、読み終わったもの。

 

  出版時期からし大河ドラマを睨んだ発行ですが、トンデモぢゃないです。当たり前ですが。他の本と違うところは、足利将軍に仕える『足軽衆』というくくりでも、いわゆる下級武士という意味ではないよ。血統は探れないけど将軍近臣になれる家柄だから土岐氏庶系の明智氏庶流ではないか?

 連歌茶の湯の著名人(つまり当代の名手、代表者)と連歌会や茶会を行っているところから、また採用された句もなかなか多いので、当代一流の文化人に比肩する水準ではなかったか、という事。

 ライバル秀吉に比べると堅実で手堅く、演出で劣る。また家臣たちの水準でも秀吉家臣、著者は特に弟秀長と黒田孝高を例に挙げていますけれども、蜂須賀正勝や宮部継潤あたりも自分なんかはその水準なんぢゃないかと思ったりしますが、織田家の他の家臣たちとの交流、人脈が広く、その分情報収集力が高いのではないかと評しています。信長周辺の情報を得る事を、信長側室(著者は断言されてます)、もしくは女官として奥向きに仕えたとされる(こっちはどっかで読んだ他の方の意見)妹(義理なのかどうかも解りませんが)に頼っていたらしい明智光秀に比べると、多方面からの情報収集能力に差をつけられていたような気がする。

 その妹が亡くなり、信長周辺の情報を得る事が難しくなった時点で、光秀の、将来に対する不安が膨れ上がったのかも知れません。自分は信長が佐久間信盛父子を始めとする家臣たちの追放を決めた事には、さまざまな理由があって一律にはとらえられないのではないかと想像していますが(佐久間は部下からの不満が原因っぽい。安藤父子は稲葉一鉄あたりの策動を感じる。林や岩崎丹羽氏に関しては尾張の統率に絡む事なのかな?と根拠もなく想像したりしている)、当時としては老齢の光秀を震え上がらせる処置である事は間違いない。

 加えて土佐長宗我部家への信長の対応が友好的なものから、どちらかという準敵国対応に変わったあたりから(これは当時織田家と交戦していた毛利家と長宗我部家が伊予の支配権を巡って交渉していた事が疑われたようです)、縁者が長宗我部家に嫁いでいた斉藤利三が信長に対して不穏な感情を抱くようになり、彼が光秀を本能寺の変へ導いたのではないか(当時の公家の日記には伝聞で利三が謀反の主犯みたいな事を書いている)、と書いています。

 どちらにせよ著者は本能寺の変に関わる光秀の決断が、緻密な彼らしくなく、拙速で根回しも十分でなく戦術的好機をつかんだ条件反射に近い対応ではなかったかと書いています。まぁ有力与力であり姻戚関係もある細川氏や筒井氏に背かれているあたり、用意周到とは言えませんよね。

 研究者の方の論説を読むと、だいたいこの線で起こったんだろうなぁ、と感じられますね。証拠は状況証拠しかないですけれども。