pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

ビリヤニ~

 ひっさしぶりに食べれた~・・・ビリヤニが。ビリヤニをひと月に一回は食べたい病にかかっているようだ・・・次はビリヤニで白葡萄酒ボトルを一本空けたいなぁ・・・そんな事を考えたりしたりしています。はい。

 さて読み終わったものなんかを。

 

 こう書いてはなんですがP〇P新書って、すごくマイルドで一般オブ一般向きってイメージがあり、また巻末のラインナップを見ても・・・右巻き好きな人たちって感じで、まぁ自分の守備範囲ではないよなーっと思っていたのです。しかし著者は平山優さんです。かの『武田氏滅亡』『天正壬午の乱』を発表して様々な歴史的常識を覆してきた方ですから、たぶん良心的入門書何だろうと思っていました。甘かった。

 Twitterで自立する本書を見た時、こりゃ買わねばならぬ!!と決意しました。武田信虎から勝頼までの三代の、つまり武田家の戦国期通史なのですが、色々興味深いです。まず信虎の代は甲斐国は連年のように飢饉やら不作やらに見舞われ、それと政治的な対立により戦乱が頻繁に起こっており、信虎はそれを克服して戦国大名として確立したのですが、戦乱と甲斐統一の記念碑的な、経済的にも統治的にも便利な本拠地建設が大きな負担となり、また物価が高止まりのまま推移し、庶民生活は苦しいまま。当時の甲斐は米ではなく小麦が主食であったそうで(うどんみたいな『ほうとう』という、山梨の名物料理がありますね)、それが室町期も含めて最高水準の物価高という、現代ならば米もパンもうどんも、パスタも全て高いという状況。ふざけんな、ですわな。

 当時は天候不順も支配者の不徳に帰されるので、つまり武田信虎は本人の資質とは関係ないところで責められ、クーデターによって放逐されたというのが本当のところ、らしいです。

 それから武田信玄のやらかしというか、勘違いと言うか、今川攻めで協力した徳川家康の事を織田信長の従属者と判断していました。のちのちはそうなりますが、信玄在世中の両者の関係は足利義昭を擁立する対等な同盟者に過ぎず、信長が家康の行動をどうこう指示、命令する立場にはありませんでした。それを信玄は勘違いして、家康の行動を自分に有利に掣肘してくれない同盟者信長を恨み、両者を敵に回すという決断をします。おかげで信長は足利義昭に見限られるのですが、結果としては義昭原因の大名トラブルからは解放され、なんか解き放たれたように反対勢力を撃破していきますから、みんな大好き信長像を作っていくきっかけは信玄君の勘違い恨み節が原因なのかも知れません。

 勝頼の事績では、信長の外交にしてやられたという感じです。織田家との和睦を試みますが、その気があるように見せかけられて、織田、徳川側への軍事作戦を手控えているうちに状況は悪化し、ついには(結果的に)高天神城を見捨ててしまった事で、戦国大名としての信頼は失墜、雪崩の如くの滅亡という事になってしまいました。

 弱い立場は足元を見られて、より悪い立場に追いやられてしまうのだなぁ、と。そういう感想ですねー。今『日中戦争』の本を読んでいるのですけれども、日本軍、武田勝頼みたいなとこあるよな、とか思ったりしたりね。