pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

『戦国大名』という存在

 なんとなーく読み終わった後、ぼんやりとそんな事を考えてみたりしたりしていました。

 

 著者の方が三好家スキスキーな方なので、三好家研究の第一人者であるのは理解していますが、他の方の研究と比較してみないとバランスの取れた全体像は見えてこないかも知れない、とか思います。

 阿波三好家は細川阿波守護家の被官人から戦国時代に頭角を現した一族で、阿波守護代の家系ではなかったようです。だからなのか、阿波守護家が中央政界に深入りしていく深度が増すと、活動の軸を畿内へ移していく傾向があり、勢力を張りながら結果的には衰亡していった一族の習いで、多数の同族が展開しつつも全容が良く解らんという感じです。

 最も有名なのは三好長慶で、自分も幼い頃に父親を、主筋の細川晴元に指嗾された本願寺一揆により殺され、にもかかわらず、その細川晴元本願寺が争うと和睦の仲立ちをしているという彼の行動に興味を覚えました。とはいえ仲立ちの時も十代前半で、主体的に動いているとは思えず、名義貸しみたいな感じなんでしょうけれども。しかしその後、畿内政界に復帰し、父の仇である細川晴元に仕えつつ、利害が対立する晴元側近で同じ三好一族の宗三家を滅ぼし、抗争の過程で力を失い没落していく畿内旧守護家の代わりに秩序を担う形で『天下人』になっていきます。

 注目すべきは三好長慶が当時の室町将軍足利義輝を奉戴するでなく、相対化して対応しているということ。仕えるべき主人と言うよりも「仕事をしない上司ならいない方がまし」みたいなスタンスなんですよね。足利義輝は遠国の勢力に対しては京に上洛し自らの権力を取り戻す助力をするように促し、名誉を与えたり和睦勧告したりと影響力を行使していますが、こと畿内、京、そして朝廷に関する事にはほとんど何もしていないという人でして、特に天皇家を盛り立てる事で自らの正当性や貴種性を担保していた足利将軍家としては、自らのアイデンティティを崩壊させかねない行動をしていた訳で、その辺りの評価が分かれている人物です。彼と三好長慶の関係が畿内戦国史を決定していたとも言える訳なのですが、著者は三好スキーな方なので足利義輝への評価は辛いです。十一月に別の研究者の方が足利義輝と三好家の関りを論述した一般書が出るようなので、とても楽しみです。

 個人的な興味だと、そうやって畿内の覇権を握ったもつかの間、最初は末弟の死、次に長弟の戦死、望みをかけた後継ぎの病死と、ほとんど毎年のように不幸が重なり、ついには最後に生き残った次弟までも自らの命で殺します。ローティーンの頃から一族を背負う運命を受け入れ、弟たちを始めとする従う者たちの為に働き、絶頂期に手のひらからこぼれるように、自分とともに働いてきた親しい身内が次々と死んでいく。最後には自ら止めを刺すように弟を殺すように命じ、その数か月後、自身も病で亡くなるというのが、現代的な感性に訴えそうな悲劇性を持っている、と思うのですが、この本で著者は、三好長慶は最後の弟を殺した後も精力的に活動しており、原因不明の病で亡くなる直前まで気落ちする様子が見られないと評しています。もちろん個人的な心情をつづった資料がないのでアレですが、何となくね、自分は小田原合戦で最後まで勝負を捨てなかった北条氏政の話を思い出しましてね。戦国大名と言う存在は、死の直前になるまで勝機を諦めず足掻き続ける存在なのではないか。そういう精神性の持ち主だからこそ、勝機を見逃さず運命の女神を振り向かせ続けたのではないかな、と思ったりしたり。とはいえ運命の女神は残酷で、見放されれば、あっと言う間に没落させてしまうという危険な女性なんですけれども。

 ご多分に漏れず戦国期の有名人はNHK大河ドラマに取り上げられる事を希望される訳ですが、三好長慶の生涯は、一筋縄ではいかなくて、お気楽に希望される方の気持ちを裏切る物語にしかならないのではないかなーっと思ったりしたりしました。