pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

今日はバタバタしていません

 毎日まんべんなく出来事が起こってほしいものですが、何故か忙しい事は集中する傾向にありますね。今日は暇な日なので早めに日記を書きます。

 

 誰?っていうのが最初の感想なんですが、呉座勇一さんの『応仁の乱』の一方の主役というか、その当時のことを克明に日記に残した興福寺別当も務めた大乗院門跡な人です。室町時代の中期の、えらい坊さん、とだけでいいです(おい

 事績としては政治の中心に立つこともなく、彼の身近な問題としてはライバルとの競い合いとか、大乗院の収入を増やすとか、面目を保つとか、如何にして大乗院を自らの血統、あるいはそれに近い人で独占するか、という、まぁどちらかと言うとミニマムな事が多いです。

 それが返って当時の人々の考え方、生活、風俗などが良く解るというものでして、特に考え方は、なんというか、泥縄でもなんでも稼げるものは稼ぐ。言いがかりだろうが何だろうが、利権は獲得しようと動く、という出家してえらい坊さんでも、ずっぷり俗世の欲まみれでして、こういうメンタルの人、良く知っています。父方の祖父がこんな感じで、足掻くけどいい時も悪い時もあって、そのやり方があまりにも泥臭いので、なんというか、喝采するというよりも「そこまでせんでも」という嫌悪を感じるという類。

 しかし祖父もそうですが尋尊にしても、当時は正直ではどんどん損してしまう世の中。偽証しようが何しようが、とにかく利権をつかんでいかないと、興福寺という大寺院、それにつらなる寺院、属する僧侶たちの生活も維持できないという世の中。既に下剋上の気配は近づいていますし、領地の荘園は調べなければ、本当に飢饉で年貢を納められないのかどうなのか解らないし。というても理不尽な要求を尋尊もやります。よくやります。だから敵も多い。

 はたで見ていると気持ちの良いものでもないけれども、当の本人は必死だという事ですかね。特になるべく自らの血縁(興福寺は一乗院と大乗院という寺院の住持、門跡が大きな影響力を持っていて、一乗院は近衛、鷹司。大乗院は九条、一条の各摂関家から門跡を出していた)に近い人物を後継者にしようとして四苦八苦。何度も幼年の後継者を得るのですが、当時は子供の死亡率が現在以上に高い時代ですから、何度も後継者候補に死なれて、その為に彼はずいぶん長いこと門跡の地位にあったというのは、ちょっと気の毒だったかな、と。

 継承もスムーズでなくて前任者の日記とかも参考にできない状態で、為にマメに記録する性癖がついたから、この時代を研究するにとっては貴重な同時代証言者になっています。ただし、自分に都合の悪いことは書かないし、嘘もつくけど。

 まぁ普通の人間って事です。出家したからって徳が積める訳でもないって事ですね~。