pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

能吏

 名前は知っているけれども、具体的にはどんな役割をしていたのか、よく知らなかったので読んでみました。

 

 題名に挙げた『能吏』はこの方の生涯全般に通じるものではないかと思ったもので、つけてみました。帯には『平和をめざして尽力した国際人!』なーんてありますが、ご本人は理想主義者ではなく、透徹なまでに現実主義者です。ほぼほぼご自身の意見というものを封印している方で、嘘が嫌いな性分ですが、必要とあらば嘘をつき、その基準は日本国の利益になるかどうかに尽きるというのが、やっかいなところ。

 外務官僚としては物凄く有能であり、交渉力もあり分析力もあり(赴任先が欧米が中心で、中国に滞在した事はないにも関わらず、報告される情報から中国通と言われる人たちよりも、中国の状況を的確に把握していたようです)、『悪口を言わない』『嘘は言わない』『感情よりも職務優先』というところが、必ずしも人格者ではないのに、切り札的に考えられていた理由ですかね。

 国益第一の人ですから、「平和が日本の国益にもっともかなう」と考え行動し、「その為には英米との協調が不可欠」と考え行動し続けますが、個人的な、あるいは少数の人間が考えるようには世間は動いてくれず、第一次大戦後、自国が『大国化』と誤認している大多数の日本国民が自意識を肥大化させ、ある意味傲慢になってしまっているので、譲るとか、駆け引きとか、そういうものを忘れたみたいに行動するのですよね。

 外務官時代に培った好印象を駆使して外務大臣時代は、中国問題を英米、特に米国と話し合って解決しようとしますが、こじれた挙句に国際協調路線を否定する内閣の登場で下野を余儀なくされます。戦時中は公職についていない事もあって、白い手の政治家として戦後活躍する事になりますが、この人、政党政治が嫌いなのに、こんにちの自由民主党の源流を作り出す事になるのだから皮肉なものです。

 党利党略によって政争が起こされ、外交政策が二転三転し、現在よりも海外との連絡が不備な時代ですから、変転する国内情勢に左右されて交渉努力が無駄に終わる事も、しばしばあったようです。

 駆け出しの頃、日露戦争終結ポーツマス条約を締結して帰国する当時の外務大臣小村寿太郎が「俺は国民に殺される」みたいな事を口にするのを耳にします。和平がなったと言っても、戦争の実態は国民に知らされておらず、特に陸軍がロシア軍主力を殲滅できなかった事実は知らされていないようです。ただ勝った、という事だけ知らさせていたと。ロシア陸軍には継戦能力がまだあるのに、日本には兵力も弾薬も、そもそも資金すら底をついている事は、敵はおろか味方にも知らされておらず、莫大な賠償金がとれると期待している日本国民は、条約内容を知ったら怒り狂うと予想している訳です。

 もちろんポーツマス条約は妥当な線なのですが、詳しい情報を公開する訳にはいかず(そんな事をしたらロシアの萎えた継戦意欲に火が付きかねない)、小村寿太郎はだいぶ苦しんでいたようです。

 その姿が念頭から離れなかったのでしょうね。

 あとは平和憲法の生みの親みたいな事を言われていますが、ご本人は再軍備を常に視野に入れてました。軍事力を持たない国は他国に蹂躙される他なく、国際連合の抑止力などある訳がない(他国の為に誰が血を流すというのか、という判断がある)と考えていますから。もっとも核兵器などの大量破壊兵器が量産されたら戦争などできるものではないと考えていたようですけれども。真相は、戦争放棄という話題をマッカーサーとの会談でしゃべったら、そのアイディアで憲法作れとGHQより命令が下され、そのまま受け入れないと天皇制を守れるかどうか危うくなったので、幣原は口を閉ざした、という事らしいです。

 人は誰でも単純じゃないよねー、とか思いました。