pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

綱吉擁護

 意外に徳川綱吉という人は海外の研究者にも知られていると感じました。

 

 オランダ商館長に随行して江戸に上ったケンペルというドイツ人が、帰国した後に日本紀行の本を出していまして、綱吉治世の日本を紹介しているのです。特に綱吉の統治者としての評価は『絶賛』でして、まぁ当時のドイツの諸侯のアレさ加減に対する愚痴も入っているのでしょうけれども、庶民の『生類憐みの令』に対する文句は、明るい冗談で済ませられる程度とケンペルには感じられたようです。

 『忠臣蔵』の演劇、映画、ドラマなどが無数に演じられる度に、だいたい徳川綱吉はネガティヴな文脈で語られるのですが、その先入観が根底にあるからなのか、いまいち綱吉のイメージは良くないです。んが、まじめに研究すると『人殺し』を名誉というか普通の意識で生きてきた武士という存在を、戦時の戦士ではなく平時の役人へ変えようと試み、その先鞭をつけたのが綱吉だという評価になっています。そして古来からの『人殺し』基準の価値観を否定されて反発した武士階級にとっては、綱吉は『暴君』であると。

 著者は綱吉の視点に、京都の八百屋の娘として生まれ、父親との死別を機に下級公家と再婚した母親に連れられ、家光正妻の侍女として同行した綱吉母の、庶民出身の考え方が影響しているのではないか、と論じています。生類憐みの令は、もともと武士が狩りや人殺し訓練で飼っている犬を野放しにして、野良犬が捨て子のみならず子供までも食い殺す事件が多発していたので、武士に犬の管理をさせる事から始まったようです。

 中国で盛んになった実践的な儒教を自ら講義できるほどに学び、役人として己を律する事を厳しく求めたといいます。賄賂の横行は六代将軍かららしいですし。事務能力、自己管理能力などなど側近に求めるものも厳しく、長く勤められたものは一人、二人ぐらい。そういうところが、四代将軍家綱期に門閥世襲化した武士たちに嫌われた理由なのでしょうね。家柄のみで出世する事は許さないという姿勢が。

 あと綱吉がやった事で非難されるのが貨幣の金銀含有率低下ですが、しかし日本の中世は絶えず通貨不足でしたし、元禄という空前の好景気に対応したものであると評価できるし、含有率を戻したのちの時代こそ景気が冷え込んだり、デフレが進んだりしました。通貨になるものが実用的ではないけれども、人が受け取ってくれると期待できるものであるならば何でもいい、という発想は、どうも通貨、経済の専門家のものらしく、綱吉期に活躍した萩原重秀の発想はまさにそれで、金銀の含有率にこだわる人はその辺を考えていない。

 戦国期までの武士から、平時の武士に脱却する事を求められた武士たちの怨念が『綱吉暴君説』を今でも抜きがたい観念として植え付けているのだろうなーっと思いました。その点、ヨーロッパ出身の著者の視点は新鮮ですね。でも著者母国語を日本語に翻訳しているので、普段読んでいる文章とは違うテイストになるのが面白かったけど。