pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

今朝からエンドレス

 羊文学の新曲、TVアニメ『平家物語』OP、「光るとき」をエンドレスでかけてます。サビで涙腺が緩むので乾きがちな眼球が潤うかと(台無し

 今、思い立ってこの綾辻行人さんの『館』シリーズを順番に読んでいます。推理ものの『本格』ってカテゴリーがいまいち理解していないのですが、綾辻さんは、そのカテゴリーの作家さんだそうです。社会風刺とか社会問題とかを入れないタイプの推理ものという理解であっているのでしょうかね?

 昨夜二作目の『水車館の殺人』を読み終えました。探偵役が素人(見習い僧侶だそうな)で稼業を継がなきゃならないけれども父親が元気なので比較的暇、という設定。ひょうひょうとした人物像が気に入ったので読み続ける決意をしました。

 一作目の『十角館の殺人』はアカザ・クリスティの『そして誰もいなくなった』リスペクトでひねったトリックになっています。市川憂人さんの『ジェリーフィッシュは凍らない』を思い出しましたが、自分の読む順番がそちらが先だったというだけで、発表されたのは『十角館の殺人』の方が遥か先です。それに『ジェリーフィッシュ~』の方は空間だけでなく時間まで騙してきますし(あ

 なんとなーく、動機的には弱いかな?という気もしますが、犯人の年齢や世界観を考えると、そんなものかも知れないと思ったり。アメリカの作家さんがこの作品に注目しているという話をどっかで読んだのですが、この手のストーリーはあちらでは珍しいのかも知れません。そういえば『そして誰もいなくなった』もアガサ・クリスティ作品の中での評価は日本ほど高くなかったと思ったけど・・・推理ものにもお国柄が出るって事ですかね。

 二作目の『水車館の殺人』は四分の一ほど読んだところで犯人像は想像できました。当たっていたけど。ただトリックはどうしたのかまでは想像できませんでした。謎解きを読んで正直な感想は「うっひゃあ・・・よーやるな」でした。想像上の事ですし、物理的にそうしなければならない事も理解するけれども、犯人の立場にはなりたくないや。

 小説ではなくてエラリー・クイーンの作品を題材にした漫画で読んだのですが、エラリー・クイーンが「犯罪を犯す人は、だいたい可哀そうか、可哀そうなくらいバカな人だ」みたいなセリフを言っていた覚えが。犯罪を犯す人を英雄視させない為の作家の良心か、あるいは常識的に考えたら犯罪なんてリスクが高すぎて割に合わないけれども、そうせざるを得ない立場に追い込まれているのか、あるいはリスクヘッジができないくらい愚かなのかって描いているか、なんでしょうかね?

 犯人の立場に一抹の同情を覚えますが、しかしそれでもそこから社会に踏みとどまる方法はあった筈で、それを踏み外すのはやはり上記のカテゴリーに当てはまるのかと思ったりしたり。

 三作目はまた本屋を覗いたら購入します。