pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

CM入り~

 ようやくTVアニメ『平家物語』の第一話を録画し、昨夜見ました。1/19深夜にBSフジで放映されたので。地上波東京キー局より一週間遅れか・・・助かった。

 けど、そういえば民放TVアニメ見るのって何年ぶりだろう。NHKWOWOWか、もしくは円盤購入でしか見なくなって久しいので、途中でCMが入る事に慣れなくて、なんか没入しているところをぶった切られた感じになって、もにょるものなのね・・・。ドラマもNHKWOWOW、円盤でしか見なくなって久しいから・・・CM入りに慣れない・・・

 でも第一話は昨年九月にネット独占配信していたところが無料で見せていたので、知っているのは知っているのですがね。でもねー、大画面で見たかったからねー。明日の深夜東海テレビで流れる第二話を録画してみる予定です。どうなるかな。

 さて読み終えたもの。

 

 平安末期から鎌倉初期の著作が増えているのですが、基本的に気になる著者のものしか読みませんけれども、この方はどちらかというと室町、戦国期の城砦遺跡を発掘、検証する方なので、本筋ではないのですが、治承・寿永の内乱を軍事に詳しい人視点で見たらどうなるのかな、と思って買いました。

 ええっと、印象としては旧説の尻尾を引きずっている感じですね。この方にとって新説は腑に落ちないものらしい。しかしそれも仕方ない事です。新資料が発見されたならともかく、結局解釈違いの問題ですもの。状況証拠の解釈によってどちらが、より整合性をもって説明できるかですからねー。

 先日の日記に書いたところ意外だと、都市鎌倉が『城塞都市』というのは最初にそう理解した人の誤解で、考古学的に『切通』は石材を切り出した後である事が証明されており、平安末期から鎌倉期の『城』とは(反乱)拠点を意味する事が多く、今日の自分たちがイメージする要害は鎌倉末期、ひょっとしたら楠木正成あたりが築いて立て籠もって赤坂城とかが嚆矢かも知れないですね。他に考古学的発見がなければそんな印象。

 ならば何故鎌倉を拠点として源頼朝は選んだのかというと、この人は先祖の源頼義の事績を可能な限りトレースしていましてね。源頼義飛躍の一歩は当時そのあたりを支配していた平直方の婿になり鎌倉に居を構えたところでして、その故事にならったというのが第一ではないかと、そうおっしゃっています。

 あとは、源義経は日本史上初めて戦術的、戦略的視点で戦を組み立てる事のできた人物であるとか(そもそも数千単位の軍勢が日本列島を移動する戦乱が、初めてともいえる)、そんなところですかね。『親王将軍』を源頼朝が構想していたってのは流石に無理があると思うナ。大姫入内は皇子を出産して皇位継承を目論むところまでいかなくても、朝廷とのパイプ役として彼女とその周辺が活躍してくれることを期待するだけでも意味があると思うし(駐在大使みたいな役割ですね)、親王将軍を企画する事は、自分の後継者として頼家を積極的に御家人たちにアピールしている事を否定しかねないですし。

 まぁいろいろな意見があるのは面白いですけどね。