pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

視点が変わると見えてくる

 読んでいて、そんな感想を覚えました。

 

 武田信玄の事績を地図などの図版とともに描いている本なのですが、読んでいて思うのは、信玄という男の『長い手』に呆れる、というか、やり手っぷりですかね。毛利元就も言うように手立て(謀略)はできうる限り仕掛けろってのが鉄則ですが、そうしないと戦の勝率が下がるからなんですけれども、上杉謙信相手の策略がまぁ、まぁまぁって感じで、自分が今川家の領域に襲い掛かる為に、背後から邪魔されないための手立てをするところなんか、そのまま越後に攻め寄せたら一国切り取れたんぢゃないの?ってぐらいの冴え。

 それぐらい有能だからなのか、周りから自分がどんな風に見えれているのか、という視点が、何故かよりによって致命的な時に欠落する事があって、今川攻めの時も彼の視点では紛れもなく今川氏真は自分に対する敵対勢力になっているのですが、彼らの仲介を果たし、一旦は和睦を成立させた北条氏康の目線には立っていないので、氏康の面子を叩き潰す事になってしまうと。いや、礼儀を逸している訳ではないけれど、北条家の立場からすると「そうぢゃないだろ!!」になる。

 織田・徳川の関係性も誤解しており、家康を見くびっているんですよね。自分と同じレベルの勢力だと見ていない。織田の従属国人だと思っている。それがまた大きな齟齬であり、自分のやらかしで自分に敵意を向けてくる徳川をコントロールしようとしない織田に対して不信感を募らす、と。あ、織田・徳川は足利義昭が在京中は対等の立場で義昭を支える『大名』ですから、織田信長が家康の方針にどうこう口を出す立場ではないです。

 ただその足利義昭織田信長の関係性に違和感を抱くというのは信玄のみならず朝倉義景も感じていたようです。何故信長が室町幕府職掌につかなかったのか?という事は様々な説があって確定していないようですけれども、自分はなんとなーく、織田という元々足利一門斯波家の家臣、つまり将軍からみたら陪臣の地位でしかない自分が、幕府要職に就くのは家格的に合わず批判を受けるかも知れない。表に出しゃばらない方がいいと判断したんぢゃないかなーっと思うのですが、ところが幕府の公式立場にない信長が将軍義昭の命令書の添状をつけてくるって言うのが変に思われた理由ではないかと。一体織田信長はどういった立場で足利義昭を支えているのか、それが見えない。これは足利義昭の命令ではないのではないか?朝倉義景がそのように考えて、不信感を持ち義昭政権に協力しなかったのではないか。信玄も、取り合えず上杉や今川、北条と殴り合っている最中、東濃でごたごたが起きて欲しくないから黙っていたけど、信玄もそういった織田信長の立場に違和感を持っていたのではないか、と著者はおっしゃいます。

 信玄の事はともかく、朝倉義景が何故、逃亡中は庇護していたにも関わらず足利義昭政権に非協力的だったのか、その理由の一つになりそうなものを教えていただいた感じです。

 こういう新たな視点を教えてもらうのは楽しいですよねー。