pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

地震があったんだ・・・

 東北の方で震度六の地震が二度ほどあったようです。真夜中に。名古屋あたりは揺れたのかな?自分は就寝してしまった時間でして、何も感じなかったのですが、被災された方にお見舞い申し上げます。新聞の一面には壁にひびが入った建物の写真が。これの建物、もう建て替えないといけない・・・

 今週に入ってから目がパシパシし出して、鼻水とクシャミが多くなりました。はい、花粉の季節に突入です。症状は軽いので医者にかからずに済んでいますが、これから梅雨入り前後まで、こんな感じになるんだなぁ、と諦観モード。症状が軽いから言える事ですが。

 そしてまったく関係ない話の後に読んだ本のこと。

 

 二十年ぐらい前に出版された本です。なんかねー、中国史ってこんな感じかーって思っていた時期があったので、図書館の書架にある事は知っていたのですが読んだ事はなかった・・・と思います。んで、まぁ読んでみてもいいかなぁ、と借りた次第。

 王莽は前後四百年あまり続いた漢王朝を一時滅亡させた人物として、散々な評価をされています。まぁ自分の王朝を長期化できなかった人はそうなりますが、では後世に影響を及ばさなかったのかというと、もちろんそんな事はなく、儒教が国教化された後、定まらなかった国家祭祁を定めるとか、口伝を基につくられた今文書物よりも、発掘された古文書物の内容を重視する方向を決定づけたとか、主に儒学的に功績があるし、前近代の中国において王朝創始者は軍事力を握っている人物ばかりなのですが、彼だけは政治実績で王朝交代を実現させた唯一の存在と言えます。

 叔母が皇后になったこと、父親が早死にしたので他の一族のように安易に余禄にあずかる事が出来ず、勉学を積んだこと。そして最大の政治実績は、飢饉に対して的確に対処し、その実績が評価された事で最高権力を握る事になります。

 そこから独裁者になる手法は、現代の独裁者と遜色ないなー。反対派を容赦なく左遷、追放、抹殺していくさまは、これ以後の中国史で何度も目にするし、王朝交代の作法も彼が創始したと言えるし。

 ただ彼の失敗は、あまりにも儒学の制度や名前にこだわりすぎて、現実に対処していた強敵である外国、匈奴をことさら挑発するような行為を行い、その戦争に戦略的な方法ではなく、杓子定規な物量戦で臨み破綻(動員兵力に対して補給が追い付かず、士気が低下という失敗)。物資動員で国内に負荷をかけた挙句、世の中の不公正が噴出し漢王朝の皇族であった劉氏を中心に反乱が多発。それへの対処も失敗し、かけられた褒賞と憎悪の為に八つ裂きにされてしまうという・・・

 まぁ同情はできないよなぁ。外聞の為に嫡妻が生んだ息子たちは悉く不幸になっているし(というか息子たちも軽はずみだけど、なんとなーく親子の意思疎通が上手くいっていなかった印象がある)、自分に従わない人物に対して容赦ないし、しかし儒教的な分野では評価されてしかるべき人物ぢゃないかな?そして儒教の理想を実現した事が現実に齟齬を起こし失敗したという反面教師的な面も。

 とはいえ儒教に実践主義を唱える一派が出るのって遥か後世の明朝で、儒教で対処できない場合のカウンターとして法術、文学を持ってきた曹操、その系譜を引く人々が政治を主導してきた時代が宋代まで続くのだから、そういうもんかなぁ。他民族に支配されると民族的な反発で南宋期に勃興した朱子学から儒教って現実対応し始めた・・・のかな?てきとー言っているかも知れん。さーせん・・・