pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

バランスというものが

 仕事配分は忙しくなく、暇でもないという感じに欲しいのですが、ま、扱っているものが季節商品なので、それはないわな、と。何が言いたいのかというと、昨日に比して今日は、まったりしている。いや仕事がない訳ではないのですが、多い訳でもないのでね。

 読み終わったものは三冊ですよ。昨日は配達途中で本屋に寄れましたから。

 

 検索しているさなかにTelがドバドバかかってきて、あたふたと対応していました。まったりといったな、あれは嘘だ・・・自分で書いててどーすんねん。

 はい、ヴィンランド・サガです。入植は順調ですが、現地の方々のシャーマンがキメキメで飢餓(だろう)状態でトランスしてお告げを得ようとして、まぁ創作ですからこんなにはっきりと見えるとは思えないのですが、18世紀から21世紀にいたるまでの、大量に殺害できてしまうシステムやら利器だかを幻視してしまうのですよ。やつらやべぇ、とシャーマンさんは思う訳で、なんとなーくいい感じの間柄も亀裂が入りそうです。おそらくトルフィンにとっての、最後の戦いが始まるんでないかな?彼女は許したそうですからナ・・・

 

 スポーツマンガは主人公が負けてもライバルに何某かの敗北感を与える。そんなパティーンですかね。レースの駆け引きが楽しいです。ただ皆ヘルメットかぶっていて似たようなバイクに乗っているので、判別がつきにくい・・・番号で識別するぐらい?はい。頑張ります。

 

 昨日の段階で読了の目途がついていたのはこの本。戦国時代、一郡程度の領域規模を持った封建領主の事です。『国人領主』は成り立たないと、この本で否定されました。まぁ室町時代は、思った以上に所領が分散していて、一円所有しておらず、排他的な支配を実現できていない社会でしたからね。『荘園』という本で学びました。

 イメージとしてはミニマムな戦国大名で、最近まで力の大きいものが勝手を言える、つまり国衆は大名の言いなりな存在だと思っていたのですが、実は逆で、国衆の方が主体的に『寄らば大樹』の戦国大名を選択しており、大名は人質とか大きな戦力とかで威圧、脅迫はできても決定権を完全否定できなかった、という。翻って見れば『表裏比興のもの』つまり油断ならぬ人物と称されるのは、だいたい国衆クラスの武将であり、彼らは大勢力の狭間でいかに自家の存続を図るのかと模索し続け、つまり有利そうな方へ何時だって寝返る存在であったのは、当然と言えば当然ですよね。人質が殺されようが関係ない。自家の存続さえ確保できならば、と。

 でも、この本で龍造寺隆信が血統的には水ケ江龍造寺家なんですが、継いだのは本家という不思議現象を知りました。長男の息子だけど出家しているし、水ケ江龍造寺家は叔父が継ぐ事で決定されていたそうで、母方の血縁で本家相続らしいですけれど、複雑な事情がありそうだ・・・解明されていないけど、という。

 編纂物や軍記物からしか追えない存在は難しいです。研究者の方には頑張って解明して欲しいなぁ・・・