pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

両上杉家

 こういう書き方、言い方はしないけど、なんとなく書いてしまた。

 

 はい、マニアしか知りませーん。室町~戦国初期に関東の政治勢力として、常にその紛争の中心にならざるを得なかった二つの上杉家です。山内上杉関東管領を代々務め、鎌倉公方を支えるけれども人事権は京の室町将軍が持っているという、鎌倉公方からすると身内?監視?という存在。扇谷上杉は、その山内上杉関東管領を交互に勤めていた犬懸上杉が『上杉禅秀の乱』を起こして没落した為、上杉一門のナンバーツーに躍り出た存在。とはいえ越後守護家のバックアップを受ける山内上杉の対抗馬ではなく、まぁ一門衆筆頭みたいな立ち位置。

 基本的に両者は外敵が現れると共同で対処してきました。古河公方足利成氏との三十年にも及ぶ享徳の乱も一緒に戦ってきたし、山内上杉家宰家になろうとした長尾景春がその職につけず、不満分子と起こした反乱にも一緒に(主に太田道灌が)戦い、鎮圧しました。

 んが、室町期までお互いのテリトリーは決まっていながら錯綜していた領土が、この景春の乱によって変わります。具体的に言えば江戸など武蔵や相模の山内上杉家臣で景春与党を制圧した太田道灌=扇谷上杉が、戦果として自分たちの領土にしてしまったのがきっかけ。そりゃそうだわね。扇谷にしてみれば苦労して鎮圧した報酬だと思っているし、山内にしてみれば奪われたと同じだし。

 両者が対決するのは扇谷上杉定正が家宰太田道灌を抹殺し、その嫡子が山内上杉を頼った事から。太田道灌上杉定正の対立は、この時期よくあったNo1とNo2の対立で、力をつけすぎた(特に太田道灌は自尊心が強く、我が強い人柄だったようで軋轢が起きやすかった)No2をNo1が排除に成功した例で、山内上杉はそのトラブルを口実に失った領土を取り返そうとした、という感じ。

 ここに当時中央の命令で堀越公方足利茶々丸を排除した伊勢宗瑞がかかわってきます。別に伊勢宗瑞が野心のままに介入したというよりも、隣国の安定を得るために扇谷上杉に味方したという。そして山内上杉は保護していた堀越公方が排除されたので、それと政治対立していた古河公方と和睦が可能となり、山内VS扇谷の対決が鮮明になった、と。

 この両上杉の争いは、結果的に伊勢宗瑞が関東に介入し、後の小田原北条家が南関東の覇者となるきっかけになった訳ですが、結果論ですね。両上杉家も自分たちに従う勢力の利益を守ろうとして争ったに過ぎず、その矛盾が解決(扇谷上杉の軍事的敗北という形で)されると両者は新たな外敵である小田原北条家と対する為、結束します。しかし室町的権力が戦国期領主になる過渡期に相争ってしまった為に、自らの地位を脅かすNo2を両家は排除しながら(山内上杉家のそれは長尾景春)、当主家が抜きん出た存在になる為の内政期間を確保できなかった為に、国人領主の連合体に過ぎず、より強力な統治機構を備えた小田原北条家との抗争に敗れ(配下の国人領主を切り崩されて、あっという間に勢力縮小、瓦解した)、わずかに山内上杉名跡上杉謙信に伝えられたってぐらいですかね。

 両上杉が存在した期間の1/4ぐらいが相争った期間で、それが致命的だったって、まぁ政治は世知辛いもんです。当たり前だけど。