pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

マンガとかあるのですが

 図書館へ返却するので先にこっちの感想を。

 

 歴史的表記って、介在した言語表記によって変わるもので、このアケメネス朝って表記もペルシア語表記ではないそうです。史上初めて、アジア、アフリカ、ヨーロッパの三大陸にまたがる広大な領域を持った帝国なのですが、残っている記録はペルシア語によるものよりも、外国人であり被征服民であるギリシア人、そのギリシア人文化スキスキーなローマ時代の人々のものが多いので、それらを英語訳したとかを経由して日本に入っているから、そんな事になるのだと。

 でもこんがらがっちゃうから慣用句という事でそのまま使うよーっと著者はゆうております。ただでさえ馴染みが少ない分野ですしね。

 そんな史上初帝国ですが、まずほんとにペルシア人が創設者なのか?というところから疑問があるらしく初期の大王は「アンシャンの王」って称していて、地域的にはペルシアに近いのですけれども・・・どうなのよ?二代続いたあと、別系統から大王になったダレイオス一世からは、たぶんペルシア人だろうという。

 ギリシア人のアイデンティティを高めたペルシア戦争も、ギリシア本土からペルシアの軍勢を追い払ったギリシア側から見れば自分たちの勝利なのですが、ベルシア側視点だと、マケドニアなど自らの影響下にある地域は存在するし、数十年後のペロポネソス戦争を含め、ペルシア側が経済的、政治的に介入したりと「バランサー」的な立場に立ち、結局ペルシアと戦っていたアテネデロス同盟は没落。勝者スパルタはその後ギリシア都市の反対派との戦いに終始し、長い目で見ればペルシア帝国辺境で、ギリシアはペルシア影響下にあるとしか見えない。

 エジプトも一旦征服されるも、数十年独立していた時期があったのですが、王権が安定せず、短命だったり継承争いで不安定になったところをペルシア再征服されるという。その際、大規模な戦闘は一回ぐらいで、いかにエジプト人が自分たちの王権があてにならない不安定なものになってしまったのか、思い知ったみたいな結末。

 周辺地域に比べると比較的安定勢力であったペルシアが何故滅亡したのかというと、やっぱり王位継承のごたごたが影響していたかも知れません。最後の大王ダレイオス三世は傍系の出で、暗殺、政変を経て王位につきましたから、マケドニア王アレキサンドロス三世の攻撃を受ける頃は安定していましたが(大王自らの親征は首都を留守にしていられるほど安定していたという意味らしいです)、三度の大敗で権威が失墜。最後は部下に暗殺されるという最後。

 まだまだ組織力が弱く(王位継承の明確な規定もなく、継承期にはだいたいトラブルを起こる)、ペルシア大王の在位が平均で二十年、つまり比較的長期安定政権が続いたから、ペルシアは大国として二百年以上存在したのかも知れません。

 『ペルシア戦争』と『ペロポネソス戦争』ってギリシア視点の物語しか知らなかったから、なるほど、そういう見方もあるのねぇと目から鱗でした。